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私の名前は渡若造

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(特別版) 第89回  『古賀ゴルフクラブの想い出』

先日、福岡県の古賀ゴルフクラブで日本オープンゴルフ選手権が行われた。連日NHKで中継されたので長時間テレビ観戦しました。読者の方々も多くの方が見たと思います。私は無名の塩見プロが最終ラウンド後半まで4アンダーでトップを走っていたので、優勝させてやりたいと願っていました。しかし、優勝経験がなく、プレッシャーのかかる最終場面を乗り切れるのかと心配していたのが、当たってしまった。
ダボ・トリプル・ボギー・トリプルと5ホールで9オーバーでは何をか言わん、表現すべき言葉が見つからない。彼は当夜は悔しさと情けなさで眠れなかっただろう。優勝したのは大逆転のチャン・キムで、4200万円の高額賞金を外国人がさらってしまった。スコアは4日間競技で1オーバーである。キムはこれで今年の賞金獲得額でトップになりました。

私は古賀ゴルフクラブには特別な思いがある。52歳から5年間、サラリーマン生活で唯一の役得で、古賀の法人会員としてメンバーだったのです。単身赴任していたので、週末は必ず古賀を訪れていた。福岡在勤中にざっと150回位プレーしたでしょう。赴任時ハンディ16だったのが、東京に帰るときにはハンディ11になっていた。西武ライオンズの東尾修選手(後に監督)の夫人(東尾理子プロの母親)も同じ11のハンディ札がかかっていたのを記憶している。

今回の日本オープンを見ての感想は大きく2つです。
1つは、ゴルフ場は手入れ次第で難易度は如何様にも変えられることです。
フェアウェイを狭くし、ラフを伸ばし、バンカーを増やし深くし、グリーンにうねりを造り、短くカットして速くする、とプロでもボギーだけでなく、ダブルボギーやトリプルボギーが頻繁に出るのです。
狙った箇所にティショットし、狙った位置に乗せないとバーディチャンスはない。

2つ目はゴルフコースの難易度は距離だけでないことです。
古賀ゴルフはBTでも6800y前後に過ぎないのに、優勝は1オーバーです。
同日に開催された女子プロの富士通レディスは6675yで優勝は17アンダーです。優勝したのはアマチュアでした。
コースセッティング次第でこれだけ違うのです。
我々高齢ゴルファーも飛距離がなくても方向性が良ければ、好スコアが狙えるのではないかと逆説的な希望が湧いて来ました。

古賀ゴルフクラブには多くの想い出があります。
①多くの有名人と出逢った。
野球の王貞治さんと狭い湯船に2人だけで入浴しましたが、ミーちゃん・ハーちゃんのように声をかけずに私は黙っていました。
ある時、後ろの組に田淵幸一さんがいましたが、半端な飛距離ではなかった。
プロのブレンダン・ジョーンズにはしばしば出逢い、スタートホールを見ていた。(オーストラリア、1975年生まれ、シード権あり)

②女子プロゴルファー高須愛子の練習を何回も見ました。
彼女はハンディ6の男性キャディとよく来ていたので、練習ぶりを長時間見学した。普通のバンカーショットなら2m前後に全部つける。踏んづけて目玉にすれば5~10m。ドライバーショットは200y先にある看板の左右5mの範囲内と狂わなかった。プロのレベルを知りました。
(今回調べると彼女は1952年生まれの現在67歳、生涯獲得賞金は4億7400万円、1993年の4472万円の獲得賞金は7位、2019年ふくやまマダムカップオープンで7位、スコアは79・76)

③元読売ジャイアンツの堀内庄一さんと同伴プレーした。
彼はハンディ2でしたが、クラブ選手権には出なかった。
「ゴルフは楽しみでやっている。針の糸を通すようなコントロールを求められた苦しい野球とは次元が違う」と言った言葉が印象に残ります。
彼は大きく落ちるドロップと速球でエースであった。
(通算9年、62勝44敗、防御率2,17 1935年生まれで現在84歳の筈)

④クラブチャンピオンのNさん
彼はハンディ0だったが、マットを使わず土の上からアイアイの練習をしていた。私も真似て練習したが難しかった。

⑤スタートはすべて1番からで、10番スタートはなかった。
また、1R打ち切りで1.5Rはできなかった。1年を通してフェアウェイにディボットがなかった。

⑥地元名士との交流
福岡県の有力実業家とはコンペやプライベートラウンドでご一緒した。
フェローシップ委員長と同伴した際は「ティショットが終わればティグランドから降りなさい。横の通路を歩きなさい」と注意を受けた。前方のティグランドを通り抜けたからである。
九州大学の医学部教授と知り合い、自宅に招かれたことがありました。

⑦40代実業家の金銭感覚に驚く。
知り合った40代の実業家は、中洲のクラブでは寄ってきたホステスに1万円札を配るので、「どれだけ収入があるのか」と訊くと「裏金だからこんなところで使う」の返答にびっくりした。彼は古賀ゴルフの会員権を1億300万円で購入し、5400万円で売却した。

⑧無料で預かってくれた。
ゴルフバッグ・シューズ・帽子の3点を無料で預かってくれたが、こんなゴルフ場を他に知らない。
私は車がなかったので、バスと電車で毎週通ったので大助かりでした。
現在は廃線でなくなっているが、西鉄の『古賀ゴルフ場前』の改札口を出て10mで古賀ゴルフの正門があった。当時兵庫県の広野とどちらが駅から近いか測定されたが、正門までは古賀、ハウスまでは広野が一番近かったそうな。

⑨違約金を取るゴルフ場
雨が降っていてもゴルフ場がクローズしない限り、プレーしないと一人3000円の違約金を取りました。メンバーがゴルフ場に集まっていても徴収するのです。私は2回で24.000円の違約金を払いました。

⑩別れの挨拶
東京へ帰る際は挨拶に行ったが、支配人を含むフロント女性陣、プロを含むスタート係、食堂のオバサン達と記念の写真を撮りました。食堂のオバサンから2年後に電話がきたことがありました。

難しいセッティングに仕上げた古賀ゴルフ場でラウンドしたい上級者はいるだろが、一般ゴルファーはどうなるかと気になる。
フェアウェイを広げ、ラフを刈り取り、グリーンは遅くするだろうが、バンカーを埋めはしないだろう。改造したグリーンは傾斜やうねりがあるので3パット続出だろう。

当時の古賀ゴルフは地元の有力企業や上場会社の法人会員が多かったので、営業面は熱心でなかった。赤字が出れば年会費を上げるだけでした。現在の年会費は12万円らしい。

<「私の名前は渡若造」シリーズで、古賀ゴルフや福岡勤務関連の記事は、第3回151835626576と数多くあります>

 

令和元年10月23日  渡 若造

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