今年も福岡で旧交を温めました

2005.12.13

福岡勤務を終えて9年近い歳月が経過した。当時は歌えなかったので、歌が目的のスナックへは殆ど通っていない。それなのに、ママから「ゴルフコンペを開催するので是非来て欲しい」との電話が来た。昨年も案内を受けたのだが、前立腺の手術直後だったのでお断りした。2年続けて断るのは悪いかと思い、今年は参加する旨返事をした。常連客でもなく、ママといい関係になっている訳でもないのに、なぜ私を勧誘するのか不思議に思った。多分、福岡を離れて9年、退職して6年以上の歳月が流れているのに、その上、わざわざ東京から参加してくれる人がいる程の店だと現役主体のお客さんに宣伝したかったのだろう。

1回だけのゴルフに高い交通費を使うのは馬鹿らしいと思い、福岡の友人に仲間を集めてくれるよう依頼した。すると聞きつけて、鹿児島と長崎の友人も参加すると言って来た。こういう次第で3泊4日の福岡ゴルフツアーが出来上がった。

いつものように、インターネットで格安パック券を購入した。飛行機は前回と同じS社である。

数日前にママから電話が掛かってきたのだが「時期が悪いのか参加者が少ないので中止します。渡さん!ご免ね・・・」。スナックのコンペが取り止めになったからといって、もう一つのゴルフも取り止めにすることは出来ない。私は予定通り出発した。

スナックのコンペの予定日は何もすることがなく、どうして現地で一日過ごすか考えたが、ふと思いついた。5年半お世話になった単身アパートに行ってみようと・・・当然管理人は新しい人に代わっていた。管理人と親しく話している中で、我々の食事のお世話をしてくれていたおばチャンが3人いたが、まだ2人は勤めていることが分かった。お一人は今年1月にご主人を亡くし落ち込んでいるとの話だった。私は急に彼女を呼び出し勇気付けようと思い立った。連絡がつき、翌日おばチャン2人と私の3人は、若者で賑わう福岡マリンタウンで半日過ごした。おばチャンは二人とも9年近い歳月を感じさせない容姿だった。そして唐突な私との再会を大変喜んでくれた。スナックのコンペに参加して夜、歌っているより、こちらの方が有意義だったかも知れない。
夕方から当時の子会社の責任者だった友人の自宅に急遽招かれ、奥様の手作り料理をご馳走になった。
私以外に特約代理店の2人も招かれていた。

大博多カントリークラブには8人が集合した。鹿児島・長崎の取引先社長、特約代理店の支店長、関係会社の役職者と私の元部下である。最高齢者は67歳、最若年者は57歳であるが、全員リタイアして現在は全員無職であった。仕事を探している者もいれば、ゴルフ三昧で優雅に過ごしている者もいる。いろんな環境の違いがあっても、9年近い歳月が経っても、昔の仕事仲間が電話一本で集まるなんて、東京では一寸考えられない。九州の人達は人情味があり、世話好きで親切な人達が多い。私の性格と相通じる。仕事は真剣だったから口論したこともあったが、会社を離れれば全員対等の立場で親しく付き合った。私にとって、福岡勤務は会社生活最大の思い出であり、いい所で仕事が出来たと心から感謝している。もし、ゴルフという共通の趣味がなければ、ここまで親しい関係はできなかったであろう。親しい交友は自分ひとりで出来るものでなく、相手があってこそ成り立つものである。いい友人に恵まれたと喜んでいる。

大博多カントリークラブは外資に経営が代わって安売り路線になり、平日でも満員の盛況である。
ラウンドはハーフ3時間近くかかり、風呂へ入る時間もなく、終了後直ちに空港まで送って貰う始末だった。セルフ・食事込み6800円は安くて魅力がある。しかし、ハーフ3時間は集中力がなくなり、面白味に若干欠けた。低価格とどちらがよいか考えるところだ。私の成績は44/44と冴えず大いに不満が残るが、単身アパートのおばチャンとも9年振りに会えたし、昔の仕事仲間とも旧交を温めることが出来たので、意義ある福岡訪問であった。次回は来春、鹿児島に集合することになっている。


− 私の名前は渡若造 35話 −

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