(特別版) 『老いぼれ九州ゴルフツアー顚末記』

私の名前は渡若造


3年ぶりに福岡の友人に逢いたくなり、親友に連絡し企画をお願いした。私は「往復5日間で行くが、ゴルフは力量が落ち情熱も冷めたので1回でいい」と伝えた。
返答は「今更観光でもないし、卓球の相手はいないし、朝からカラオケはやっていない。渡さんにゴルフ以外何があるのか」であった。かくして3日連続のゴルフツアーが組まれた。62歳の時の1週間連続のゴルフ合宿以来、3日連続のゴルフは体験していない。体力に若干心配しながら私は出発した。

〈1日目〉自宅からバスに乗る際、70歳以上は半額になる高齢者特別乗車証明書を見せるのに気が引けた。ゴルフバッグを左肩に担ぎ、右手には大きな鞄を持っているからだ。こんな元気な老人に特別割引をするのか?と思われると・・・久方ぶりの羽田空港だったが、レストランの値段の高いのに驚く。一番安いのは素うどんだったが880円もする。搭乗券はなく、乗車券のバーコードを読み取るだけになっていた。福岡空港へは企画した友人が迎えに来てくれた。


〈2日目〉2時間かけて阿蘇外輪山の中にある南阿蘇カントリークラブへ着く。ここには元勤務先の後輩3名・当時の子会社の責任者や代理店支店長だった仲間が召集され総勢8名となった。年齢は65歳から73歳の年配者ばかりである。当ゴルフ場は高地にあるためか5月下旬の九州とは思えない芝の状態だった。グリーンは好コンディションだが、ティグランドとフェアウエイはあちこち剥げていた。天候は予報に反し薄日が射した。BT6888y、RT6481y、FT6162yだったが我々はレギュラーティ6481yを選ぶ。「握りのマムシ」と嫌がられる後輩に強制されてラスベガスとオリンピックとニアピンが始まる。私にとっては何年振りかの「握り」である。ラウンド中に嬉しかったのは、私がしばしばドラコン賞(賞品や賞金はなく単なる名誉だけ)を獲得したことである。同伴者も驚いていた。実は、出発2日前の練習場で閃きがあった。左肩を右肩まで押し込むように廻し、テイクバックで一瞬止めてからクラブを振ると10ヤード、スイートスポットに当れば20ヤード遠くまで飛ぶことを発見していた。相変わらずグリーン周りとパットのミスが出る。握りのマムシさんは寄せとパッティングが上手く、年金受給者から浄財を巻き上げる。ゴルフは飛距離でなく小技の重要性を見せつけられた。成績は48・42の90でグロスは2番目。ダブルペリアハンディは13.2となり4位で何もなし。同系列のホテルグリーンピア南阿蘇に宿泊したが、露天風呂や部屋から眺める阿蘇山は綺麗で雄大であった。支払いは1泊3食セルフプレー付きで15450円(ゴルフ税500円免除)と安い。経営は熊本の肉屋とのことで、ホテル・レストランとも肉類が多かった。

南阿蘇カントリークラブ 練習グリーン 樹木に囲まれている
南阿蘇カントリークラブ 練習グリーン 樹木に囲まれている
阿蘇外輪山に向かって打つ 高地らしい野芝 阿蘇外輪山の説明板がある
阿蘇外輪山に向かって打つ 高地らしい野芝 阿蘇外輪山の説明板がある
距離表示旗 ティグランドは荒れている ホテルから阿蘇外輪山を望む
フェアウェイ真ん中にグリーンまでの距離表示旗がある 白が150ヤード、赤が100ヤード ティグランドは荒れている ホテルから阿蘇外輪山を望む

〈3日目〉場所を熊本空港カントリークラブに移動した。最初に尋ねたのは理事長の名前だった。ここの理事長は、19年前に福岡へ赴任した当時に九州では有名なアマだった深浦弘氏であり、取引先の社長・会長でもあったので同伴プレーで指導を仰いだ事があったからである。「深浦氏は現在88歳で理事長として週1回はお見えになっている」と聞き、嬉しくなり手紙を書いた。当コースは女子プロトーナメントが毎年開催されており、不動裕理や平瀬真由美など有名プロの出身コースである。ここも野芝で綺麗に芝が生え揃っていなかった。BT7091y、RT6538y、FT6073yで今回は短めを選択したかったが、踏ん張ってレギュラーティ6538yに挑戦した。普段はオールキャディ付のプレーだが当日はセルフデーになっていたのだが、道案内が親切でなく時々次のホールを間違えた。私には距離的にパーオンが困難なホールが多かった。すぐ横が空港なので時々数10メートル上空を飛行機が離着陸していた。当日も予報に反し、少し小雨が降ったがまずまずの天候でラッキーだった。アプローチとパッティングに優るマムシさんがベスグロ。私は45・45の90でグロスは今回も2番目。ダブルペリアハンディは15.2で2位となり出資金を取り戻した。支払いは6200円(食事込み、600円のゴルフ税免除)と関東に比べ安くていい。

熊本空港カントリークラブ 練習グリーン周辺 各ホール距離は長い
熊本空港カントリークラブ 練習グリーン周辺 各ホール距離は長い
砂を撒いたティグランド グリーン前のスタイミーな樹木 コース外に空港レーダーが見える
砂を撒いたティグランド グリーン前のスタイミーな樹木 コース外に空港レーダーが見える

〈4日目〉舞台を福岡市南西の大博多カントリークラブに移す。当クラブは日本でも有数の強豪アマが揃っており、倶楽部対抗競技で毎年上位に入賞している。
このゴルフ場は5回目だと思うが、PGM(パシフィックゴルフ)経営の安値・詰め込み主義の典型的なコースで進行が悪く、毎回イライラする。昨夜からの降雨と朝まだ小雨が降っていたのでキャンセルが出て、進行は順調で助かった。しかし、水はけが悪く、まったくランが出ない。我々は松コースと杉コースを回る。BT6306y、RT5997yであるが、アップダウン激しく打ち上げホールが多いので、距離表示以上に難しかった。私は44・45の89でグロス1番目。支払いはセルフ・食事付きで7000円(ゴルフ税600円免税)だった。

大博多カントリークラブ つつじが咲き残っていた 雨上がりで水が残っていた
大博多カントリークラブ つつじが咲き残っていた 雨上がりで水が残っていた
芝は生え揃っていない グリーンが隣り合わせの山岳コース
芝は生え揃っていない グリーンが隣り合わせの山岳コース

客は渡若造だけ
客は渡若造だけ    

3日間合計で整理してみると、54ホール回って、パー12回、ボギー32回、ダブルボギー9回、トリプルボギー1回、OB1回、3パット5回、1パット12回である。若造は老化を嘆いているが、友人達はもっと老化が進んでおり、飛ばない、寄らないプレーだった。この年齢になると、飛距離よりも寄せとパットが如何に重要かを思い知らされた。今後の課題は明確になった。50ヤード以内のピッチショットとランニングアプローチの練習を積むことである。そして2メートル以内のパッティング。

3日間同伴したゴルフ狂の友人は、アプローチを失敗する度に「下手だなぁ」とか「馬鹿者」とか「くそっ」と自分を叱り嘆く言葉が出る。彼が言うには「日本人は失敗する度に自分を貶めるが、アメリカ人は自分のナイスショットを褒める。その方が前向きで、いいのではないか・・・」と。成る程、そうだと同感した。マラソンの有森裕子のように、自分を褒めることが必要かも知れない。

ラウンド終了後、時間があったので友人が新築した豪邸に立ち寄った。新しい家、綺麗な家、広い家は良いものだ。8年ぶりにお会いした奥さんはちっとも昔と変わらない容貌で花壇作りに精を出し、海外旅行を満喫しておられるようだった。彼女が60歳前に語った言葉を思い出す。「ヒトは誰しも老いてゆく。これは避けられないが、美しく老いたい」と。奥さんはまさしくその言葉通り過ごしている。私もこの言葉を意識して『美しく歳を取る』『年齢より若々しく過ごす』を目標としている。

夜、博多らしい料理を食べ友人達と別れ、独りで中州のスナックを訪ねた。ママとは格別親しくはないが、年賀状を寄越し、「店のゴルフコンペを開催するので特別ゲストとして東京から来て欲しい」と頼まれわざわざ福岡まで5年前に行ったことがある。21時前に入店したが、店内はママと若いホステスと客の私の3人だけだった。この商売が厳しいのか、不況だからか、たまたまだろうか。会話が続かないので採点つきのカラオケ大会となった。2人は聴いていて決して下手ではないが、機器採点の音程・キーが合っていないのか低得点である。私は日頃の研究の成果で80点台、良ければ90点が出た。


〈5日目〉ホテルをチェックアウトしたが飛行便まで時間があるので、14年前まで勤めていた元勤務先を訪ねた。ビルは存在していたのだが、会社名が見当たらない。初めて耳にするような新しい名前の会社ばかりである。そこである名前の会社を訪ねた。当時子会社にいた見覚えのある男性が応対してくれたが、元勤務先は「福岡から撤退した」と言う。新規事業を扱う新会社ばかりが入居していた。社員数60名・総売上高年間230億円を誇っていた福岡支店は見事に消えていたのである。親会社が消え、子会社だけが残る時代の変化・激動を目の当たりにして私は唖然とした。

ゴルフを3日連続でラウンドし、生ビール6杯と焼酎ボトル3本を飲み干し、カラオケ歌唱は新曲ばかり17曲。帰宅してさすがの私も疲れを感じていたら、ママからの電話とホステスから電子メールが入り、お礼を述べられた。元気でいられることに心から感謝している。


平成22年6月16日    渡 若造