ゴルフを通じて広がる交友の輪

2005.01.12

ゴルフの魅力とは何だろうか。
青空の下、我がもの顔に闊歩する緑の絨毯。歳を取っても、ある程度は若者に対抗できるテクニック。健康維持のための楽しい歩き。ドライバーからパターに至るまで、14本の道具を駆使できる技術の奥深さ。年齢の衰えをカバーする道具の見極め。豪華な浴場に浸かっての温泉気分。一人で練習出来、一人で参加出来るラウンドなどゴルフの良さは幾つもあるだろう。但し、唯一の短所はお金がかることである。

上記のメリット以外に、私は趣味のゴルフを通じて友人がどんどん増えて行く喜びを味わっている。
ゴルフを通じて知り合った友人は、職業の違い、年齢の違い、技量の違い、性別の違い等と関係なく、全員対等の立場で交際できるのが最大の魅力であり、見知らぬ方と簡単に意気投合できるのがよいと思っている。

私は、元勤務先の人達との交遊を避けてはいないが、往々にして彼等の中には、いつまでも現役時代の関係を絶ち切れずに威張り、先輩顔が抜けない人がいるので、嫌な思いをすることがある。
定年後は出来る限り会社生活を離れ、地域との交流、趣味の世界での交流、異性との交流、ボランタリー従事者との交流を図るようにしている。これから定年を迎える読者にもこのことをお薦めする。

福岡勤務時代は単身赴任だったこともあり、休日は一人で古賀ゴルフへ出かけ、練習やラウンドをしていた。
会員は大抵、地元の有力者か大会社の福岡支店長であった。何回も顔を会わせると親しくなる。中州へ飲みに行くこともしばしばあった。支店長は数年で東京の本社へ栄転して行く。古賀ゴルフで親しくなったメンバーでKGB会(古賀ゴルフOB会)を結成し、年1回集まることにした。東京や関西からのメンバーを地元に残留しているメンバーが迎える。私は東京に戻ってから、飛行機代が高くつくので2年に一度の割合で参加している。古賀ゴルフは従業員の退職が少なく定年まで勤める人が多いので、プロ・フロント係・スタート係・ロッカー係・キャデイ・食堂のおばちゃん達が懐かしく接してくれるのが嬉しい。名門コースでプレーした後はいつもの居酒屋、そしてカラオケが待っている。奥さんを亡くし再婚した人や愛人の話を自慢する人もいる。地元のメンバーは環境に恵まれているので、全員がシングルハンディになり、転勤組と差がついてしまった。

『ANAバンコクチャレンジゴルフ』というのがあった。参加費無料なので登録したら、「予選を通過したので準決勝に出てください」との呼びかけがあり出場した。ダブルぺリアのルールに助けられ、私は優勝してしまった。
決勝はバンコクで開催され、決勝戦とパーティ・往復の飛行機代、ホテル代はスポンサーの招待である。
練習ラウンド代や観光費用は当然自己負担だが、折角の機会なのでバンコクまで遠征した。本番は幸運に恵まれず下位に終わったが、同じ趣味の仲間とはすぐ親しくなった。夜の街を案内してくれるその道の通もいた。
帰りのバンコク空港で回りの人に「楽しかったので成田組はまた会おう」と誘ったら、「私も仲間に入れて!」と賛同者が増え、帰国後12名でコンペしたら、地元の新聞に「NHKのど自慢の同窓会のようだ」と2回も写真入りで記事になった。自衛隊員・消防隊員・不動産保有者・化学会社社員・役場職員・定年無職者・スナック経営者・主婦と多士済済である。こんな会合を4回も開催することができた。

福岡勤務時代の担当エリアは九州全域と沖縄県であった。従ってこのエリア内の有名ゴルフ場をほぼ踏破できた。
九州に限らず地方はゴルフが盛んで、ゴルフの後は宴会とカラオケといつも決まったスケジュールだった。
私は、当時はカラオケで歌うのを逃げまくっていたが、ゴルフと宴会は好きだったので、業界の会合へは積極的に出席した。宴会では意気投合した人達から自宅へ招待されることもあり、地方勤務は楽しかった。福岡には5年4ヶ月間滞在したので親しくなった人が各地にできた。あれから8年の歳月が経ったが、未だに親しく交流を続け、毎年、福岡方面と宮崎・鹿児島方面へ2回遠征し、彼等の歓迎を受けている。地方の方達はどなたも歌が上手である。逃げまくっていたカラオケは老人クラブで習っている成果で私も相手できるようになり、ゴルフ以外も楽しみが増えた。仕事で親しくなった方達と退職後も交流を続けることができるのは、私にとって最大の喜びとなった。
昨秋は博多・中州のスナックのママから「コンペを開催するので、是非東京から参加して欲しい」と前立腺手術で入院直後に電話がかかってきたこともある。

ある田舎のゴルフ場のメンバーに15年以上前になったのだが、時間がかかるし高速道路代がべらぼうに高くつく。
また、退職後平日に一人で行くと一緒にプレーする人がおらず、キャディと2人でラウンドしなければならないこととなる。また、愛人を連れて来た2人組と一緒にプレーさせられ、私にはつまらなかった体験もある。
しばしばロッジに泊まっていると歴代の管理人と親しくなった。管理人は何れもゴルフが好きで、安価にプレーしたいが為に定年後応募した人達である。仕事は夜間だし、交代制だから勤務は半分空いている。最近は彼等を誘い遊ぶ機会が増えた。田舎の料理屋・スナックを一巡し、最近は夜の行く先は固定した。こんな次第で、年数回このゴルフ場へ小旅行の感覚で、連戦と夜の楽しみで訪れている。彼等とは年齢が近く、ゴルフでは良きライバルでもあるので楽しく付き合っている。

最後に極め付きの話をしましよう。
退職後は時間潰しに散歩がてら、市営の老人いこいの家へ顔を出すようになった。多くの人は囲碁をするために来ているのだが、私は囲碁をやらない。スポーツ新聞を読みに立ち寄っている。度度、行っていると管理人とも親しくなり、世間話を交わしている。管理人は50歳代の主婦ばかりである。
或る時、彼女曰く「主人はこの度仕事を辞めたが、毎日することがなく家に1日中いる。何処かへ出かけて行けばいいのに何処へも行かない。私は出勤しない日は息が詰まります。誰か仲間になってくれればと願っている。」と嘆いていた。聞くとゴルフは好きらしく月1回は遠方まで朝早く出発しているとのことだったので、ゴルフを誘ったら応じてきた。当日は見知らぬ人が拙宅まで迎えに来て、一緒にゴルフ場へ行きプレーした。
一人で来ていた同じ組の会員の人が「お二人はどんな関係ですか?同じ会社に勤めていたのですか?」と尋ねるので、説明したら「そんな関係見たことも聞いたこともない。渡さんはその奥さんと親しい関係になっているのですか?」との発言には私の方がたまげた。当夜、車を置きに帰った後集合し、奥さんを含めて3人で食事をした。
その後は奥さん抜きで、居酒屋や喫茶店でゴルフ談義をしている。ゴルフのラウンドを一緒にしているのは言うまでもない。彼は私が通っている練習場へ来るようになり、ゴルフの腕前は急速に進歩しつつある。

私は密かに楽しみにしている出会いがある。春には是非機会を作って会ったことのないお二人と面会し、お手合わせしたいと思っている。それは、ホームページに寄稿している『芝先案内人のコース拝見』の筆者と『BUNちゃんのゴルフ日記』の筆者である。芝先案内人さんもBUNちゃんも文章から拝見すると、若くて飛ばし屋らしく、私とは勝負にならないと予想しますが、加賀屋ゴルフ応援団を結成している仲間(私が勝手に名付けているだけ)として、縁は奇なもの、こんな交際があっていいじゃないか、と思っている。
こんな妙なキッカケで若人と知り合いになり、交友の輪が広まるなんて『ゴルフはなんて素敵な魔物』なのでしょうか。


− 私の名前は渡若造 15話 −

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