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健康であればこそ

2004.10.07

私は幸いにして、これまで病気らしい病気を体験せずにやって来られた。退職後も元気そのもので過ごしていたが、2002年10月15日自宅近くのゴルフ練習場で急に胸が痛くなり、救急車で病院へ担ぎ込まれ、そのまま手術台で緊急患者となってしまった。病名は『急性心筋梗塞』であった。冠動脈でなかったのと病院がすぐ近くで早期治療だった為に集中治療室を出た日から元気を取り戻すことが出来た。余談だが、その6日前にゴルフ練習場のコンペで3回目のホール・イン・ワンを出していた。その時はセルフプレーの為、保険は下りないし何のメリットもなかったが、この「早期治療」が最大のお祝いだったと受け取っている。
 退院後は元気にしていたが、医師から6ヶ月間ゴルフプレーを禁じられた。仕方なく退院1ヶ月後から50ヤ−ド以内のアプローチだけの許可を貰い、1200球もアプローチの練習をした。3ヶ月後からはアイアンの7番まで、5ヶ月後から全クラブ使用の許可を貰い練習に励んだ。打った数は約10000球になる。こんなに練習をこれまでしたことはなかった。半年後、好スコアを期待して意気揚揚とラウンドしたが、アプローチでトップが何回も出て結局90を切れなかった。私は58歳の時のハンディ10が最高位である。その後、練習しても下手になる一方でハンディは13まで下がっていた。しかし、「練習は半年後に開花する」と言う通り、この練習の成果で1年後にハンディを11まで取り戻すことが出来た。私の年齢でハンディが少なくなるのは珍しいことだろう。
 病気の後、誘われて卓球を始めることになった。中学生の時に選手だったので50年後とはいえ、老人の中では見劣りすることなくプレー出来ている。卓球はゴルフと比べ物にならない程、運動量はハードである。

こんなに元気にしているのに、今回前立腺ガンを調べる血液検査で2回続けてアウトとなった。PSAと言って血液中の蛋白を調べる検査である。この検査で前立腺ガンを早期に発見することが出来、手遅れによる死亡が大幅に減少したそうである。私はガンの確率80%、すっかり観念した。入院して手術を受けると、命を落すことはないだろうが、これでまた半年間はゴルフも卓球も禁止になる.。受けたくないが、ガンであれば手術するしかないと覚悟し、入院中の姿を思い浮かべていた。多分、10月下旬に手術だろうから、9月は思いきり遊び溜めをしておこうと思い、3回もゴルフ旅行を企画し、着実にスケジュールをこなしてきた。
 9月中旬に先日行った「生体検査」といって、細胞を採取し顕微鏡で分析する検査の結果を聞くとガン細胞は検出されていなかった。これですべてシロではなくあくまで「経過観察」であり、12月に再び検査が待っている。
とにかく一安心で嬉しかった。計画した台湾遠征を止めることはない。重いバッグを担いで成田空港へ向かった。

 タイペイ(台湾・台北市)では元勤務先の後輩に当たる現地駐在員とその友人、そして何度も一緒にプレーしている日本人相手のミニクラブのママ(台湾人)が待っていた。場所はリンコー(林口ゴルフクラブ)である。
当日は風が強いなと感じつつ、スコアカードを見るとレギュラーティで6648ヤード、バックで7008ヤードあり、コースレートはそれぞれ71.9と73.8である。コースへ出ると殆どバックティに近い所に白マークが置いてある。距離は6900ヤード位だろう。私の飛距離では90を切れないな、と思いつつスタートした。
距離が長い割に左右から林が迫っている。おまけに芝はティフトンのように柔らかく、フエアウエーで3分の1、ラフで2分の1ボールが沈む。これでは私のパワーと技術では敵わない。その上、グリーンは刈ってなく、砂をまいた直後でボールが転がらない。ダボ、トリプルの続出で48/50の98点だった。強風の中でプレーしたセントラルJTコースの99に次ぐ今年のワースト2の成績であった。
つい10日前に多摩カントリークラブで41/36の77が出て喜んでいたのが嘘のようだ。
私の場合、飛距離が出ないので、コースの長さで殆どスコアは予言出来る。6100ヤード前後で82前後、6400ヤードで85前後、670〇ヤードで90前後である。前田さん(加賀屋ゴルフ社長)のドライバーで270ヤードの長打力が羨ましい。因みに駐在員氏は108と110、ママはレディスティから打って101だった。

もう少し距離を出せないかなあ・・・アプローチをもっと寄せられないかなあ・・・
せめて90ちょっとで回りたいと、願望やら反省をしながら台北空港を発った。
隣りに、30歳前のお嬢さんが座ったので声をかけた。彼女は日本人だがアメリカ育ちでタイペイのインターナショナルスクールで英語の教師をしており、実家の東京へ帰るとのこと。タイペイはまだ4年半しかいないのに日本の新聞は読まない、中国語の新聞でも意味が解ると言う。アメリカで育った割には日本語も綺麗だ。偉いものだ。私は2年前に和光大学のオープンカレッジの『中国語初級』を1年間受講したことがある。最年長だった。発音とヒアリングが難しくて、中級への進級を諦めた経緯がある。
語学も駄目、ゴルフも才能なしか、悔しいなと残念に思いつつ、否、こうして健康でゴルフが出来、多くの友人に恵まれ、下手なエッセイを書き、読んでもらえるこの幸せに感謝しなくてはバチが当たると考え直した。
語学は英語を含めてギブアップだ。せめてゴルフだけはギブアップせず、もう少し向上しようと思い、今朝も練習場へ車を走らせた。


− 私の名前は渡若造 9話 −

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