一難去ってまた一難・・・健康であればこそ <その2>

2004.10.26

前立腺がんの疑いがひとまず晴れて気分が良かったので、ゴルフ練習場へ車を走らせボールを打った。いつになく、ウッド・アイアンとも調子が良かった。再来週は練習場の親睦コンペがあり、エントリーしている。コースは御殿場の富士ヘルス$カントリークラブである。ゴルフ案内で調べると、白マークなら全長5985ヤードと短い。よし!ここなら上手くいけば、70台を出せるかも知れないぞ!と意気込んだ。夜は、久しぶりにゴルフ友達を誘い出して居酒屋へ乗り込み、焼酎を程よく飲んだ。ゴルフ談義に花が咲き、気分が良かった。

ところが、翌朝からオシッコが殆ど出なくなってしまった。そして3日間も続いた。
おかしい。これはまずいぞ。
これは『尿閉』の前兆だろう。尿閉になると、顔面が真っ青になり、下腹に激痛が走ると聞いている。
こうなるとえらいことになる。休日だが安閑としておれない。前立腺がんの生体検査をした病院に掛け合い、救急センターへ急いだ。

救急センターでは泌尿器科の医師が待っていてくれた。管を膀胱に直接入れ、強制排尿した。これを『導尿』という。
通常のオシッコなら200〜300CCらしいが、500CCも出たと医師は言う。
すっきりした。しかし、この状態で帰宅させられた。体験者に電話して聞くと、彼は2日後に管を抜いたとのことだった。
やっと2日後になり病院に行ったが、「管を取るのは早過ぎる。週末に取ると異変が起きた時に困るのであと1週間入れておく」と医師はおっしゃる。
それから1週間、本当に参った。医師は「風呂に入ってもよいし、通常の生活をしてよい」と言うが、何せ柔らかい所に入れているから動くと痛い。それ以上なのは、管を入れているから収縮能力がなくなっており、自分の意思と関係なく排尿するので、気持ち悪いことこの上ない。要するに垂れ流しなのである。管の先に袋をつけている訳ではないので、溜めることが出来ない。従って、トイレから離れた場所へ行けない軟禁状態が10日間続いた。時間を持て余した。

こんな状態では管を抜いても心配で、当分は遠方へ出かけられない。練習場のコンペへの参加を取り止め、飛騨へのバス旅行もキャンセルした。こうなったら前立腺肥大の手術をする他ないと決意し、入院手続きを済ませた。
手術は病院が混んでいるので、現時点ではいつになるか分からないという。決意したからには早くして欲しいのに。
前立腺がんに比べ、前立腺肥大の場合は入院期間も短いので、このエッセイの連載を中断しなくともよいだろう。

改めて考えるに、60歳を過ぎるといつ何が起きるか分からない。ゴルフ・卓球とあんなに元気に過ごしていても、急性心筋梗塞を起し、そして前立腺肥大にもなり手術をする羽目に陥る。表面的には精力的でも忍び寄る『老化』には勝つことができない。自分の意思や努力が及ばないところに老化がやって来る。
自分で意識できることは、会社生活を離れた趣味や友人を持ち、本気で腹を立てず、大らかに、楽しく、少し社会に役立つことを心得、暴飲暴食を避け、無理をしない程度のことである。

これから定年を迎える方々に伝えたいのは、現役時代は仕事を通じて社会に貢献する、60歳以降は健康な間に『悔いのない生活』『未練の残らない人生』を意識して過ごしておくことである。そして、自分が節約して貯めたお金を程よく『使い切り、優雅に暮らす』ことが肝要と思う。
実は、この2つのことがゴルフ技術の向上よりも、もっと難しいことなのです。

今日、10日ぶりに尿管を外してもらった。医師に確認したが、ゴルフも卓球もOKである。
そして、催促して手術の日取りを決めてもらった。11月20日前後の見込みとなった。残念だが、お誘いいただいた『加賀屋杯ゴルフコンペ』へ参加できなくなってしまった。明朝は2週間ぶりに練習場へ顔を出すぞ!

今回は、お若い方々には、年寄り臭い話で誠に申し訳ありません。


− 私の名前は渡若造 10話 −

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