(特別版) 渡若造のボルネオゴルフ紀行 その3

2008.07.02
ゴルフ場だけしか知らないのでは、はるばる遠方から来た甲斐がないので、市内観光とジャングル川乗船のオプショナルツアーを行った。前者では、モスクでイスラム教の礼拝姿を目の当たりに見たのと世界中の動物・鳥類の標本を集めた博物館、後者では、野生の天狗猿(鼻が突き出ているサル)蟹食い猿(蟹を食べるサル)と海中に浮かぶ蛍を見たのは貴重な体験でした。滞在2日目に3時間に及ぶ雨が降ったが、気温は下がりホテルでは冷房を切るくらいだった。温度差が激しい。
大学卒業者の初任給は日本円で35000円。ホテルでは、私の嫌いなシャツの外出しを老若男女すべてがしているといって過言ではなかった。シャツをズボンに入れているのはホテルの従業員と我々2人の他は極めて少数だった。いくらリゾート地であっても、「世界の服装は共通」「自分はもう化石人か」との思いがした。

最後にどうしても解せないのはホテルのレイアウトでした。宿泊は5つ星の高級ホテル『ステラハーバー・マゼランホテル』のツインルーム。木材を使った落ち着きのある良い部屋でした。ベッドルームと浴室の間にシャッター式の窓があるのだが、それを開けると浴室が丸見えなのです。数多くのホテルに泊まった私は、この設計のコンセプトを理解できません。想像するには、親が子供の入浴を見守るためか、それとも艶かしい姿態をニンマリしながら見るためか? オジサン2人のボルネオツアーはかくも清潔で、まったく色気なしのゴルフオンリーツアーでございました。成田までの高速バス代・空港税・原油高付加運賃・保険などを含めた総予算は21万円と土産代。

現地ガイドは中国系のマレーシア人で50歳の男性でした。ここに記したボルネオ事情の大半は彼の説明と私の質問に対する回答です。彼は日本に興味があり、20年前来日し3年間、神戸で中華料理店の皿洗いをしながら日本語の勉強をしたと言っておりました。マレー語・中国語・英語・日本語を話せハングル語も少し理解できるとのこと。大したものだと感心致しました。なお、ゴルフ場で初日に出会った在留邦人は、お二人ともボルネオの魅力に魅せられ、永住のつもりで在住しておられるらしい。名刺を受け取ったので、帰国後に挨拶メールを打ったら早速返信が来た。インターネットは便利なものである。

ゴルフの戦績を嘆くより、『残り少ないスポーツ寿命』を満喫できたことに大きな喜びを抱いています。

−<完>―


平成20年7月1日        渡 若造



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