(特別版)渡若造のボルネオゴルフ紀行 その1

2008.07.02
若造も遂に69歳になり、問題の後期高齢者まで5年強となってしまいました。幸いなことに普段は、心臓病歴者とは思えない活発な運動をしております。即ち、一ヶ月に10回程度の卓球に汗を流しながら体育館で過ごしています。そして、趣味が完全に逆転したゴルフは、月に3〜4回のラウンドと週1回の練習となりました。東京が大雪だった2月3日は気温30度、半袖半ズボン姿でサイパン島にてゴルフを満喫していました。旅行社が企画したコンペではダブルペリアルールに恵まれ準優勝となり、海外ゴルフの味が忘れられなくなりました。信条の「思い立ったら直ぐ実行」を実践すべく、6月23日から5日間、ボルネオへゴルフ旅行を敢行しました。同伴者は仕事で親しくなったSさん65歳、ハンディキャップ25の友人との2人旅です。

成田を出発して5時間45分、マレーシア航空機はボルネオ島のコタ・キナバル空港へ到着した。マレーシア人のガイドの出迎えを受け、車で10分の一大リゾート地の5つ星の高級ホテルのステラハーバー・マゼランホテルに着く。サイパンで経験したが、常夏の国ではホテルの入り口には壁やドアがなく、オープンになっている。フロントへは誰でも入れる構造になっているのに驚いていると客室の廊下まで壁がなく、客室ドアに直接暖かい風が吹き付ける。寒さの心配がなく、台風がないからこのような構造になっているのだ。室内は冷房が効きすぎ寒いので、冷房を緩めた。

ゴルフの初日は、グレッグ・ノーマン設計によるステラハーバーゴルフ&カントリークラブである。コースは全くの平坦で熱帯植物が茂っている。ティグランドは「TEE BOX」と書かれていた。土地が広いからTEE BOXは黒マーク7000y、青マーク6670y、白マーク6160y、赤マーク5600yとなっている。ボルネオではすべてメートル表示であるが、ここではヤードに換算して記載する。スタート前に英語を話していた後続の2人組は在留邦人だった。彼等から「難しいがスコアを度外視して記念に黒マークからプレーされるがよい」との薦めに従い、黒マークからプレーした。コースレートは72.2である。私のドライバーショットは215yなので、距離の長いコースは歯が立たない。目標を90においてプレー開始。グリーンはうねっているか2段グリーンになっており、難易度は高く3パット4回をやらかす。相変わらずバンカーショットが苦手で、ざっくりかホームランを繰り返し簡単にトリプルボギーが出る。日本の野芝でなく柔らかい芝でボールが少し沈むので、フエアーウエイウッドやアプローチショットが容易でない。リゾートだけあって混んでいたが、殆どが2サムだった。18ホールをスルーで回る。パーは3個、パーオンは1回だけだった。所要時間は4時間15分。戦績は47/47で目標達成出来ず。Sさんは53/49。


2日目は、ジャック・ニクラウス設計のボルネオゴルフ&カントリークラブである。今回も到着すると直ぐスタート。1球のパッティングの練習をもしないのは緊張感に欠ける。ここはグリーンと同じ大きさのバンカーがあちこちに作られているだけでなく池が多く、最難関のコースと言われている。黒マークは7273y、ゴールドマークは6840y、青マーク6423y、白マーク5970yである。2日目も黒マークを選択した。ここは市街地から70分も離れているのでお客さんは数十人で前も後ろもいない中でのプレーは18ホール回って丁度4時間。バンカー内にレーキがなくおかしいと思ったらカートにレーキが積まれていた。バンカーに入れるとレーキを持って行かねばならず、ぺナルティを負った心境だった。スタート直後にいきなり大きなバンカーに捕まり、1発で脱出できず連続トリプルボギーを叩き戦意喪失した。最長ホールは571yのパー5、ミドルホールでは478y、ショートホールは220yもあり、老人にとってはボギーがパーである。コースの外から金網越しでロストボールを売っていたが、円換算10個400円でSさんは購入した。距離が長い割には両側から樹木が迫っており、まったく歯が立たず、パー1個・パーオン2回に終わる。50/47は今年のワーストスコアを更新した。Sさんは57/59。わかっちゃいるけどスコアはコース次第である。我ながら、下手だなあと嘆く。

ボルネオゴルフ紀行  その1  その2  その3


− 私の名前は渡若造 −