(特別版)渡若造のボルネオゴルフ紀行 その2

2008.07.02
3日目はホテルから70分のダリット・ベイゴルフクラブである。運転手が行き先を間違え、別のゴルフ場に行くアクシデントあり。今日も1球の転がし練習もせず、いきなりスタートしたが、気持ちの整理がつかず集中心が湧かない。ここも距離十分、池に囲まれ難易度は高い。黒マーク7080y、青マーク6620y、白マーク6240y、赤マーク5640yと長い。最終日は、少しは良いスコアを出したいと青マークを選択。それでも6620yでコースレートは72.0である。因みに黒マークは74.0だった。2番ホールで池ポチャ2回をやらかし、ミドルホールなのに9を記録してしまう。早くもやる気を失う。何年振りに100を超えるのかと暗い気持ちになる。コースには作業員が多く出て仕事していた。池に入ってボールを拾っている男性も数人いた。人件費が安く、仕事がないからであろう。ゴルフ場のレストランには身体が小さくあどけない顔の女性が働いている。ここでは小学校は6年、中学校は5年制度で卒業すれば資金稼ぎに働き、その後専門学校に2年通うと聞いた。レストランでの月給は日本円換算でチップ込みの2万円と安い。気温33度、湿度85%の中を、汗を拭き拭きプレーした。私はゴルフ時だけ眼鏡をかけているので、帽子と眼鏡をとっての汗拭きは面倒だった。15番ホールまで前後にプレーヤーがまったくおらず快適。所要時間は4時間丁度で、パー3個・パーオン1回。戦績は51/48と辛うじて100を切る始末。Sさんは61/54。かくしてボルネオ3連戦は終了した。紛失したボールは9個(内訳はОB1、ロスト1、池ポチャ5、池への転がり2)で、戦績は惨めだがこれが実力である。ゴルフはプレーするコースの難易度によって如何に結果が違うか如実に示している。過去の連載で述べたが、難易度を無視した平均スコアが意味のないことを改めて認識した。皆さんもスコアを記録する際は、必ずコースレートをも記録すべきです。

ボルネオゴルフの総括として日本との比較をしておきましょう。イギリス系共通だと思いますが・・・
クラブハウスのフロントはプロショップの中にある。そしてトイレはロッカールームの中にある。乗用カート使用は2人乗りで、ペットボトル1本積んである。大半が2サム。冷蔵箱は有料。バッグの積み方は日本と逆でポケットが前方にあるのでクラブの出し入れがし難い。我々は日本式に積み替えた。コース小屋はあっても自動販売機を含め売店はない。コースは平坦で距離が長く、実力に応じてティグランドを選択する。黒と赤では190ヤード違うホールがあった。グリーンはワングリーンの割に差ほど大きくなく、うねっており難しい。フェアウエーの芝は南国特有の芝でボールが沈むので打ちずらい。バンカーに入れればレーキ持参する。ボール拭き用のタオルはない。ボール洗い器はあっても水はないことが多く、タオルはついていない。18ホールスループレーで休憩時間はない。ざっとこんなところでしょう。18ホール終了後食事を取るが、レストランはベランダのようだ。屋根はあるが壁がなくオープンになっている。食堂の値段は日本のゴルフ場の7掛けくらいか。

ゴルフ関連以外にも触れておきましょう。
ボルネオ島は、フィリッピンとマレーシア半島の中間より南方に位置します。マニラ・クアラルンプールとも約1時間の飛行時間です。
ボルネオ島は、グリーンランド・ニューギニアに続いて世界で3番目に大きい島で、日本の2倍の面積がある。成田空港から往路6時間、復路7時間の飛行時間。ボルネオ島はマレーシアとインドネシアと小国のボルネオ王国の3つの国に分かれている。我々が訪問したのはコタ・キナバルでマレーシアのサバ州にあり人口60万人。サバ州は300万人で面積は北海道とほぼ同じ。マレーシア半島を含めたマレーシア全体の人口は2460万人。ボルネオ島内に800万人。ボルネオは原油と天然ガスが出るので豊かである。国民の収入は低いが教育費や医療費の個人負担はない。ガソリンは1リットルあたり90円で羨ましい限りだ。日本軍が3年半統治した歴史があり、木材運搬用に設置した単線の鉄道が1本あり、観光用に週2本運行されている。交通手段は車なので、コタ・キナバルは人口60万人に対し、車台数は50万台。ボルネオ島への外国人の観光客は、韓国・ヨーロッパ・香港上海・台湾・日本の順。滞在中日本語を聞いたのはゴルフ場で会った在留邦人2人とホテルで見かけた夫婦1組だけであった。耳にするのはマレー語と中国語ばかり。広東語・台湾語・ハングル語の区別がよく分からないので、ホテルでは中国語ばかりの印象を受けた。日本人が居ないので、海外旅行気分を満喫できたが、レストランでは中華料理店でさえ日本語メニューがなく注文に困った。恥ずかしいが私は英語すらままならぬので、カタコト単語の会話では意思の疎通がうまくできなかった。マレーシアはイギリス連邦だったので、マレー語と英語が公用語になっている。従って、英語を話せる人は多い。

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