沖縄ゴルフ旅行

2006.03.07
台湾のゴルフ場を数多くプレーしているが、グァム・サイパンへは行ったことがないので、日本の寒い時期に行こうと計画を立て、ゴルフ練習場仲間を勧誘した。しかし、仲間は外国まで行く勇気がない、国内なら参加するとの意向で、思いもしない沖縄ツアーとなった。私は福岡時代に沖縄は管轄エリアだったので仕事で15回くらい行っているが、仲間は二人とも今回が初めてであった。いつものように、私がインターネットやパンフレットで格安ツアーを研究し、予約・手配した。
詳細が決まったので、仕事で親しくなった沖縄のIさんに「10年ぶりに再会しよう。出来れば一緒にプレーしよう」との誘いの手紙を出した。住所・電話番号・FAX番号・携帯番号・メールアドレスを書いて1ヶ月前に出したのだが、出発日まで何の返答もなく、単なるズボラならいいが病気ではないか、と心配しながら羽田空港を出発したのだった。

3時間弱の飛行を終え、無事日本航空は那覇空港に到着した。現地はかなりの雨だった。行き先は沖縄の中部に位置する名護市である。安上がりにするためタクシーでなく、レンタカーを借りた。
レンタカーの基地は空港の近くと思いきや那覇市内だったので、渋滞の中をマイクロバスで行ったが、そこは各レンタカー会社共同の基地だった。若い男女で混雑しており、手続きに時間がかかり、出発したのは空港到着から1時間半も後だった。南国はのんびりしているなぁ、と私は昔の出張時代を思い浮かべていた。
雨中、レンタカーで有料道路を順調に走り、着いたのは喜瀬リゾートパレスである。格安パックだから海側と反対の部屋だと覚悟していたが、ここは全ルーム海の見える眺望の好い部屋であった。夕食はレストランでなく、沖縄料理を揃えている『居酒屋めんそーれ』と表示してあるところで、泡盛と料理を満腹食べた。客席は年配者が少なく、比較的若いグループで満席である。2月でも満席か、と思った。

翌朝はまだ薄暗い6時30分に出発して、名護市の西南に位置するカヌチャゴルフコースに向かう。
当地は12年前に開発されたリゾート地で立派なホテルやコテージが建ち並んでいた。
我々のスタート時間は7時34分だが、一番スタートではない。コース幅は思ったより広くなかった。距離はバックティで7004ヤードもあり、レギュラーは6031ヤードしかないが、フェアウエーがうねっており難しく作られていた。沖縄だけあって、芝は緑色に映えていた。昨日降り続いた雨は止み、薄日が射した。私は半袖シャツでプレーし、『南の島、沖縄』を味わった。仲間の一人は股引き(関西でいうパッチ)をはき、長袖シャツだったので「暑い、暑い」とボヤク姿は滑稽だった。インよりスタートし、2時間で終了し気持ちよかったが、アウトはかなりトリッキーな上、各ホールで待たされ興味半減。所要時間は2時間50分。リタイア組は見当たらず、若い人ばかりだったのは予想外だった。私の成績は43・42の85とまずまず。ラウンドを終えマスター室で聞くと、「12月から2月一杯が稼ぎどきで、2月は平日・週末関係なく満員です。5時間はかかる。沖縄のゴルフ場は何処も同じです」と平然と話していた。2月は沖縄のゴルフシーズンだったのである。

13時に終えたので、宜野座の阪神タイガースのキャンプ見学に向かう。宜野座に到着して球場の場所を尋ねると、何と「今日帰阪した」と言う。残念。日本ハムならやっている、と聞き南国特有のシャワーを浴びながら名護市営球場に着いた。15時きっかりだったが、選手は誰一人見当たらず、ここでもガッカリ。時間が余ったので翌日の喜瀬カントリークラブの下見に行った。昨年までブセナカントリークラブと呼んでいたコースで『2007年日本プロ開催』とあちこちに書いてある。メンバーの名札を見ると名護市の有力者のTさんの名前がある。Tさんとは盃を傾けたことがあるし、一緒にプレーしたことがあるので電話をかけてみた。本人と連絡が取れ、急遽、同伴プレーすることとなった。当夜はレストランでステーキを食べた。泡盛はアルコール度50近い強さだと思っていたが、25度や20度のものもあったので、軽目のものを選んだ。当夜もオバチャンの団体はなく、年配のカップルと若き男女のグループで一杯だった。景気が良くなったのか、若者はリッチなのかと私は考えながら飲んでいた。

3日目の喜瀬カントリークラブは日本プロ開催を目指して、練習レンジやコースを改造中だった。
3年前にオープンしたコースで、カヌチャゴルフに比べて広く、チャンピオンティは7159ヤードと長い。我々はレギュラーティ6328ヤードを使用した。沖縄の土壌は固く、芝が浮いていないのでフェアウェーウッドショットやアプローチが難しい。ダウンブローに打てない私は何回もアプローチをトップしてダボの連発である。
Tさんは68歳なのにアプローチが見事だ。さすがに現在もハンディ8だけのことはある。結局、私は44・46の90でガックリと肩を落とし、晴天に恵まれ沖縄特有の風もなかったのに、この有様は矢張りゴルフスクールに入って出直しか、と落胆した。ラウンド中の会話で、返信のなかったIさんは「脳梗塞で入院しており、病状が悪いらしく、お見舞いを断わられた」と。悪い方の予感が当たり、私は複雑な気持ちになった。プレー終了後、空港へ車を走らせた。

那覇空港で再び泡盛を飲んで、18時55分発の日本航空に搭乗。成績は不満足だが、天候に恵まれたし、仲間には喜んで貰え、Tさんとの10年ぶりの再会が実現したと喜ぶべきか・・・と考えながら、機内で放映されたニュースに目をやると真っ先に『日本航空社長退陣要求』関連だったのは誠に皮肉だった。

旅行費用は、羽田までの交通費を入れて総額86,300円だった。パックでなく、もし個別に支払うとすれば飛行機代48,500円、プレー費はセルフでカヌチャ18,850円・喜瀬17,822円、タクシー代10,000円、ホテル20,000円となり、総額131,000円でかなりの高額となっていた。ゴルフ旅行は、格安パックツアーを探すに限る。

帰宅後、3月9日の第4回加賀屋ゴルフコンペに備えて練習しておかねば、と思っていたら、数日後に夜中に胸が痛くなり、目が覚める事態となった。これはまずい。3年4ヶ月前に急性心筋梗塞になり救急車で運び込まれたが、その数ヶ月前に同様の症状があったからである。今度同じ事態となれば命取りになるかも知れない。心配なので私は翌日、大学病院へ急いだ。医師から『すぐ入院して検査を受けるよう、そして常時ニトロを携帯するよう』指示された。私は楽しみにしていたコンペ参加の取り消しを決断し、その旨連絡した。
 コンペ当日、私は大学病院に検査入院中である。よい結果を願っているが・・・


− 私の名前は渡若造 41話 −

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