ゴルフ仲間のお通夜で想う

2005.09.13

私より年下のゴルフ仲間が亡くなったとの連絡が入った。彼は私の勤務時代の子会社の課長で今年63歳、定年後も勤めていた。彼の上司と懇意だったのでよく食事やゴルフを一緒にしていたが、上司が可愛がっていた彼を連れてきたことから、彼と私の交際が始まったのである。彼とはゴルフだけでなく、仕事を依頼したり、私が退職した後はカラオケボックスで共に唄ったこともあった。

彼のゴルフは豪快ではないが、ステディでミスの少ない安定したゴルフであり、私にとっては好敵手だった。

8月の暑い最中、私は都内のお寺の会場へ足を運んだ。久し振りに黒いネクタイを締めた私の顔を西日が痛いように射した。会場ではまだ現役だけあって、上長・先輩・同僚・取引先の方々が大勢参列され、狭い会場は人で溢れていた。私は「会社関係」でなく「一般」の部で受付を済ませた。

控え室で会った元上司の話によると、「今年3月上旬に会った際は元気だったが、背中が痒いと言っていた。3月下旬に検査し4月に入院したが、時既に遅かった。すい臓癌で手術は出来なかった」とのことであった。

昔は、通夜は親戚や親しい関係の者に限られていたが、最近は勤務者は昼間は予定があり会社を空けられないので、通夜に参列するケースが多くなった。従って、通夜と告別式の2回同じ儀式が行われるようになってしまった。

僧侶のお経に続き、焼香が始まった。焼香台は5つ置いてあった。私の番が来た。大勢の参列者がいるので、焼香は1回ですませて欲しいとの案内があったので、1回で済ませ手を合わせると、目の前に彼のゴルフスイングのスナップ写真が置いてある。
あぁ、彼はゴルフが唯一の趣味だったなぁと思い、立ち並ぶ遺族に目をやると、横にゴルフバッグが置いてあった。奥様や息子さんが、父が愛したゴルフ道具と一緒に父を送ろうとしたのであろう。

彼は、定年後は好きなゴルフを楽しみたいと埼玉県のゴルフ倶楽部に入会したが、まだ2年経っていない。私は彼の無念さを感ぜずにはおれなかった。63歳は余りにも早過ぎる。

知り合いも少ないので、早々と会場を出て帰路についた。電車の中でいろんなことが頭に浮んだ。

自分が死んだ時は、退職して年月が経っているから参列者の数は知れている。家族・故郷の親戚・ゴルフを中心とする親しい友人・カラオケ教室や卓球クラブから数人、極く少数の近所の方、全部合わせて30〜40人位か。

大きな葬祭場を借りることはない、葬儀にお金をかけることはない、少数でも親しい人が心を込めて送ってくれればよい、葬儀なんてやらなくてもよいか、近親者だけでもよいだろう、否、少数でも事後知った方が自宅にお越しになると遺族は煩わしいかも知れないので簡素でも葬儀はした方がよいか、墓なんぞどうでもいい・・・

故人があれこれ指図すべきでないのかも知れない。遺族と言っても妻より息子が、息子の地位や交際範囲に応じて、息子の考えで適当にやればよいのかも知れない。しかし、私の気持ちは葬儀は地味に、お金をかけず、少数でよいから親しかった人達に心のこもった見送りをして欲しいとの想いは変わらない。

初七日が終わって、私は気になるのでお会いしたことがない奥様に電話して聞いてみた。

自覚症状があった時は手遅れだったのですか?との問いに奥様曰く「1年前に会社の定期健診でレントゲンに陰りがあるので、精密検査を受けるよう指示された。地元の大きな病院に行ったが、異常なしの結論だったのでそのまま1年が経過した。主人が背中が痒いというので見たら、まっ黄色だった。急いで病院に行き、大学病院を紹介してもらい診察を受けたが、手術できる状態ではなかった。主人は私にも医師にも当たり散らし、大変でした。主人も私も悔いが残ります」とのお話でした。何という運の悪さよ。これが人生か。

私は、仕事で知り合い、親しくお付き合いして戴いた取引先の会長さんの言葉を忘れられない。

「私は26歳の時、ドアを開けようとノブに手をやった瞬間、原爆が落ちた。1秒か2秒の差で命が助かった。しかし、原爆の後遺症で身体がだるく、仕事も遊びも満足に出来なかった。人並みに元気になった頃は既に40歳を過ぎていた。それ以降、神に感謝しながら仕事も遊びもやっている」

会長さんの趣味はゴルフと船の操縦だった。よくゴルフを一緒にプレーした。長崎国際CCが多かった。

「渡さん、貴方は若い。死の直前、病院のベッドの上であれをしておけばよかった、これをしておけばよかったと過ぎ去った日を悔いることだけはしないように。自分が考えること、やりたいことは元気な健康体の間にやっておくように・・・」と。

当時、私は53歳だった。それから6年後、入院先の長崎まで私は東京からお見舞いに訪れた。その時はお元気だったが、会長さんは間もなく亡くなった。79歳でした。一緒に遊んだゴルフの光景や病院での姿が目に浮かぶ。

元気な間に好きなことをやっておく。過去を悔いることをしない。60歳を過ぎるといつ異変が起こるか予想できない。現に私は63歳の時、思いもしない心筋梗塞になったが、幸い、病院の近くで発症し、朝だったので手術台が空いており、すぐ手術が出来、回復する幸運に私は恵まれた。

だから、私は『思い立ったら、直ぐ実行』を心がけている。


− 私の名前は渡若造 30話 −

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