競技ゴルフに参加してみました

2005.06.21

2002年10月29日、急性心筋梗塞の手術を終え退院する時、医師から「ゴルフは6ヶ月後に再開してよいが、これからは真剣ゴルフは止め、楽しみゴルフに徹しなさい。ゴルフラウンド中はアルコールを飲んではいけない」との注意があった。半年後にゴルフを再開したが、競技会には出ていないし、ゴルフの昼食時にアルコールは一滴も飲まず、医師のアドヴァイスを完全に守って来た。
心臓の調子は良いし、たまにはノータッチでОKパットなしの緊張感あるゴルフをしてみたいと思うようになり、満66歳を機に、競技会に参加することにした。

手始めは4月にTカントリーの月例競技会である。バックティで6700ヤード強とあるが、打ち下ろしがあるので実質は6600ヤードくらいか。コースレート71.2である。 バーディ2個、ダボ1個、パー6個で41・40の81。この程度の距離なら、私でも調子が良ければこのくらいのスコアは出る。2位入賞と幸先よし。

JGAのハンディ基準が変わった。回数が少ないが、Cゴルフは13.5と認定証を送って来た。
13.5もハンディをもらえるのなら期待できると思い、過去一度も参加したことがない理事長杯に出てみた。
5月末の風の強い日だった。若い人が多いので、フルバックティの7200ヤード弱のコースである。
スタートは支配人が見守る中、40代の若い人がティショットを打った。素晴らしい弾道だが、逆風で押されてやっとこさフェアウエーに届いた。私は会心の当たりだがフェアウエーに届かない。
なにしろバックティからフェアウエーまで200ヤードもある。ショートホールは215・201・206・203ヤードととにかく長い。
私はドライバーで合計14回も打った。パーは2個でトリプル1個、ダボ1個で残りはやっとこさのボギー。
これでは話にならない。終わって見ればスコアは91。
風が強く、全員苦戦しているのでスコアは悪いと予想したら案の定、みんな悪かった。
149名参加して32位まで予選通過。私は37位で、0.9打足りず予選落ち。1打の明暗か、残念無念。

6月に入り、ゴルフ練習場の親睦コンペ。平日の練習場はリタイアした人が大半なので、距離の短いコースが選ばれる。短いコースの比較的良いスコアでハンディを決めるから、実力以上のハンディとなり、友人に話せないようなハンディになってしまう。私は5となっており、ハンディ頭4に続いて2番目の存在である。
今回のコースは山梨県のHカントリーで行われた。Hカントリーは低料金が売り物で、平日でも満員になっている。
インターネットの書き込みでは「距離短く、バンカー少なく、自己ベストが出易い」と書かれていた。
ゴルフ場のカードにはレギュラーティで6464ヤードと印刷されていた。コースレートは確認したがなかった。
529ヤードのパー5、私のドライバーは会心の当たりだったが、2打地点に行くと残り180ヤードしかない。
7番ウッドで打つとピン横5メートル。これはおかしい。私がロングホールを2オンできる筈がない。
このホール実質430ヤードくらいだろう。余りにもヒドイよ。私のスコアは77で、今年の自己ベストが出た。
ベスグロは75だった。好スコアが出るのでお客は喜び商売にプラスになると考えているのだろう。こんなやり方があるのかと疑問に思ったり、驚いたり。私は4位と二アピン賞をゲットし、おまけに馬券まで当てたので配当があり、当日はタダでプレー出来たことになり、いい気分になったのは間違いない。

その後、Cゴルフのシニア選手権1日目。ここは会員権が安くなったのと距離が長く、競技指向の若い会員に代替わりしているので、年配者が少ない。シニア選手権出場のメンバーを見ると数年前から替わっていない。尤もプラスハンディの大物は土俵が違うので、素人の集まりの競技には出ていない。出場者は年齢と共に力は衰えている。
選手権だからノーハンディ競技である。ハンディキャップから判断すると私は16番目の実力であった。
1日目、理事長杯と異なりレギュラーティで6600ヤード、コースレートは70.3である。
無風の好天なのにパーオンできず、寄らず入らずのボギーばかり。パー4個、ダボ2個、トリプル1個(ロストボール)で89。なんの事はない。理事長杯のフルバックティと結果は2打しか変わらないではないか。
理事長杯はやっとこさのボギーゴルフに対し、今回はパー逃しのボギーと内容が違うが。成績表を眺めて見ると、私は17番目。実力通りの結果だった。8年前の58歳の時、同じコースで2オーバーで回ったことがあるが、現在は夢のようになってしまった。

シニア選手権2日目。出場者が少ないので予選落ちはない。成績の悪い順からスタートするので私のスタートは早い。
4時40分に自宅を出る。こう早いと遊びゴルフも楽ではない。成績の良くない者ばかりだから緊張感がなかった。
今回はパーを8個も取れ、ダボは1個だけ。83だった。優勝者は159ストローク、私は通算で10番目でした。

グランドシニアにはまだ4年もあるし、シニア選手権参加はこれで終わりとするかと思いながら、家路についたのでした。


− 私の名前は渡若造 25話 −

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