前立腺よ、さようなら・・・健康であればこそ <その3>

2004.11.12

渡若造も第11回目を迎えました。読者の評判は不明なれど、作者はどんどん自分のペースで書きます。
誉めてくれる人あれば、けなす人もいるでしょう。これが世の中、いちいち構っちゃおれません。
今回は長文になりましたが、出来るだけ面白く、おかしく書いてみました。

練習場から帰宅したら、留守中に病院から連絡があり、3日後に入院し、その翌日手術するという。
入院は混んでいるので随分先になると聞いていたのに、どうやらキャンセルが出た模様。
当分ゴルフは出来ないと覚悟し、翌日多摩カントリーへ単独出かけた。練習場では調子が良かったのに、コースではミスを連発した。しかし、アプローチが良く、パッティングは満点で、41・39の80と好スコアが出た。同伴者は本当に3日後に手術するのか?と不思議がっていた。こんなことがあるからゴルフは楽しいのだ、と独り悦にはまっていた。

入院当日は薬アレルギーを確認するため皮内注射を行い、バンソウコウのアレルギーをみるため24時間5種類のテープを腕につけた。夜に下剤を内服した。興奮して寝付けないと思い、睡眠薬を飲んで寝た。
そしていろいろな書類に署名した。最近は訴訟時代になり、うまく行かなかった時に、患者から聞いていなかった、と開き直られるケースがあるからだろう。入院診療計画書・手術説明書・輸血同意書・麻酔に関する説明と同意書・静脈血栓塞栓症/肺血栓塞栓症の予防についての説明書の5通だった。その際に署名しない患者がたまにいるらしい。私は人生と同じで『医師と運任せ』と割り切って、簡単に署名した。

いよいよ手術当日を迎えた。緊張と恐怖が交錯する。
看護婦さんによる浣腸を行い、弾性ストッキングを着用する。これはエコノミー症候群対策と同じで、長時間同じ姿勢でいるので静脈血栓や肺血栓にならないよう細めのストッキングをはくのである。バレリーナがはく白色のストッキングそっくりであった。ハッピのような手術着を着て、「T字帯」という越中フンドシのような下着に着替えて、車椅子で看護婦に手術室まで運んでもらい、ベッドに乗り移った。

手術担当医は30歳代の女性医師だった。最初、男の身体を女性が診るのか?と感じたが、産婦人科の医師は大半が男性ではないかと考えるとすぐ納得できた。T字帯を外し、手術着を脱いで丸裸になり、僅かにバスタオルがかけられる。すぐ目隠しのように顔の前にタオルが吊り下げられたので、自分の下半身が見えない。新人麻酔医に指導するようにベテラン麻酔医が教えている。新人さん頼むよ!と心の中で叫んだ。
麻酔が注射された。今回は脊髄麻酔であるので意識は残る。両足が熱くなったと思ったら、たちまち両足の感覚がなくなり、石のようになった。足の小指を動かそうとしたり脚を広げてみようとしたが、まったく微動だにしなかった。下半身は自分の身体ではなくなっている。暫くすると、モニターテレビに画面が映っている。麻酔して30分も経つのに、新人医師にビデオテープを見せて勉強させているのか?と思っていた。そのうち、何とも云えない悪臭が漂う。魚を焼くようでもないし、焼き鳥を焼く臭いでもない。表現に窮する臭いだった。
 テレビには球面が映り、真っ赤な太陽のような赤色が映ると液体が吹き付けられ、次ぎに熟れたイチジクのようなものを電気メスで焼き切っている。これの繰り返しである。ハッと気が付いた。この場面は自分の前立腺を焼き切っているのである。何とも云えない臭いは自分の前立腺を焼き切る臭いだと。手術後に医師に質問したら、赤色は血液で、水は止血剤で洗い流していたのである。熟れたイチジクようなのは前立腺である。切り取った後に血液が噴出す光景が観察できた。
私の手術は『経尿道的前立腺切除術』といい、尿道にカテーテル(細い管)を入れ、内視鏡を見ながら前立腺を電気メスで削り落す手術であった。患者は自分の内臓を焼き切る姿をテレビで見ている
2年前の心筋梗塞の時も血管からカテーテルを入れ、風船で詰まった個所を広げた。
今回も直径8ミリの管を通して内蔵を切り落としているのだ。何という高度な医療技術かと感嘆せずにはおれなかった。約2時間後に手術室を出た。

病室に戻り、生食という液体の点滴がなされ、尿管からオシッコは垂れ流しで袋に入る。尿は完全な血尿で、赤色というより黒褐色である。4時間後、そろそろ麻酔が切れる頃に猛烈な痛みを下腹部に感じる。急いでナースコールを押した。
看護婦は痛み止めの座薬を入れた。みるみる内に上半身が汗だらけになり、口の中に苦い唾液が溜まり苦しくなった。
手術をした女性医師がかけつけ、リーダーの医師も駆け付けた。医師は膀胱から繋いでいる管を取り替えた。管に血の塊が詰まっていたのである。すうっと痛みが取れた。よかった。

手術の翌日、看護婦さん(男女雇用均等法施行以来、看護婦を看護師と呼ぶようになったが、男性看護師は1%しかいないのだから、この呼称変更には反対だ。だから私は看護婦と呼ぶことにこだわっている)が来て、身体を拭きましょうと上半身を拭いてくれた。下半身は「間もなくシャワー可能だからいいですよ」と辞退したのに、彼女は「拭きましょうよ」と言って、パンツを脱がせ、チンくんをつまみ、タマちゃんを蒸しタオルで丁寧に拭いてくれるのです。申し訳ない、こんな美人で若い娘さんが仕事とはいえ、こんなことをしてくれるなんて。若しも、もしもですよ、これが病院でなかったら、どんなに高額のサービス料を取られることか。人間の身体はうまく出来ていると思うのは、こんな時私の持ち物はおとなしくしているのです。決して頭を持ち上げたりしません。おとなしく頭(こうべ)を垂れていました。この彼女に限らず、次ぎから次ぎへと交代する看護婦は何れも優しく、親切で、美人で若いのです。
電車に乗れば、鏡を出して化粧して、終わると今度はケータイをいじくる茶髪のバカ女ばかりなのに、この病院はどうしてこんな優秀な看護婦を揃えているのか、と病院長に聞いてみたくなりました。本心でそう思っているので、退院時のアンケートに心からお礼を記入しました。もしも40年、私が若ければ、私の結婚生活は様変わりだったかも知れません。それ程、この病院の看護婦は素晴らしい。

手術から3日目、尿道から管を繋いでいるので尿意をもよおすのは変なのに、急に尿意を感じてトイレに走ったが、管の脇から漏れてしまった。原因はやはりこれも尿管に血の塊が詰まっていたからだった。私にとっては重大事だが、病院側から見れば『至って順調な患者』だった。まだ血尿は続くし、漏らす心配があるが9日目退院した。同室の患者は長い人で2年半、癌の手術をした人は1ヶ月から数ヶ月の入院である。元気そうな顔をして短期間で退院するのは気が引けた。

退職後、私にはガールフレンドが大勢いる。老人クラブのカラオケ教室や卓球クラブやゴルフ練習場で知り合いになった人達である。私は彼女達を『おばちゃんフレンド』と呼んでいる。正しくは「婆ちゃんフレンド」なのだが、そう呼ぶと「何よ!あんただって爺ちゃんじゃないか」と怒られるので、おばちゃんに止めている。そのおばちゃんフレンドに入院・手術の様子を話すと「渡さん、いいわねえ、若い子にそんなことして貰って・・・また入院したいでしょう」まではいいとして、手術台でスッポンポンになったことや尿漏れパッドが気持ち悪いとか、血尿にびっくりすると言うと「何言ってんのよ! 私達はお産でそんなこと経験しているし、40年以上も毎月血を見て来たのよ。長い間、あなたの嫌がるパッドを当てて来たのよおっ! 男の人は弱いのねえ!」と一喝されてしまった。女は強し!

手術が早まったので、これなら今月26日の加賀屋杯ゴルフコンペに参加出来そうだ。
入院・手術後とはいえ、100を超えないようにしたいと思っている。アプローチの練習くらいはしておかないと。早く動ける身体になりたいと願っている。
今回は長文の報告となりました。


− 私の名前は渡若造 11話 −

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