盛大だった第3回加賀屋杯ゴルフコンペ

2004.12.02

平成16年11月26日(金)晴天の下、千葉県の京カントリークラブにて『加賀屋ゴルフホームページ50万ラウンド達成記念 第3回加賀屋杯ゴルフコンペ』が開催されました。
私は8時前に、初めての京カントリークラブへ到着したが、玄関には大きな看板が立てられ、「主催加賀屋ゴルフ、後援京カントリークラブ」と書かれた文字が目についた。何やらゴルフトーナメントを想像させる雰囲気が漂っていた。
朝7時から社員総出で準備されたようで、加賀屋ゴルフの受付が済むと隣りで前田社長の出迎えを受けた。
初めて訪問する京カントリークラブのロッカーはアメリカンスタイルで、ロッカーの入り口の中に洗面所があり、靴を脱いでロッカー室に入る。浴場へはロッカーで裸になってから行くようになっていた。
練習グリーンはアウト・インそれぞれにあった。私は自分のスタートであるインのグリーンに行ったが、平日行われるいつものコンペと雰囲気が違っている。即ち、年配者や女性が少なく競技志向のゴルファーが多く、緊張感を感じた。
これは前田社長の交遊者の参加が多いせいだろう。参加者は76名で京カントリークラブの会員が20名近くいたのも特徴だった。

さて、私は最終組から2番目のスタートだったが、同伴者は元勤務先の後輩と京カントリーの会員というより常連のOさんでハンディ2、Mさんでハンディ5の方であった。OさんMさんとも年齢は若く、体格も立派で、研修生か若手プロゴルファーのように見えた。我々2人はすっかり飲みこまれ、萎縮してしまった。事実、このお二人はドライバーショットが当たれば300ヤード近い飛距離であり、ロングホールはすべて2オン狙いであった。昼食時に聞いたら、勤め人で土曜日、日曜日はゴルフをしている時が多いそうだ。私は体力とお金がよく続くものだと変なところで感心していた。
私の前半は、爺さんゴルフで何とか凌ぎ43であった。パッティングのミスが2回あったので、うまくやっておれば41だから後半に賭けていた。ところが後半は最初から池に入れてしまったり、ナイスショットがクラブの選択ミスでバンカーに入ったり、アプローチをトップしたりして完全にプッツン。短いパッティングも外して結局54、合計97。ハンディキャップを21.6も戴いても27位で、飛び賞にも当たらず残念無念。

やはり無理があった。1ヶ月ぶりのプレーだったので、練習のつもりと遠方の成田まで行くのだから日帰りはきついと考え、前前日は茨城の麻生町まで足を延ばし、セントラルゴルフのシニア・レディスコンペに参加した。 これもハンディ9.6で57位だった。翌日は1日中、静養するため現地で過ごし、読書するつもりで本を2冊も持参していたが、余りの天候の良さに気が変わり、急遽JTコースでプレーしたのであった。最近はジャンボ尾崎でさえ、3日目あたりから疲労からか崩れが目立っている。ましてやこの私なんぞが、手術後なのに3日連続ラウンドはするべきではなかった。スコアより健康回復を喜ぶべきかと自ら慰めている次第ではあるが。

さてさて表彰式では、優勝の高額旅行券は同組のMさんが獲得された。我々が足を引っ張ってしまったが、同組から優勝者が出てやれやれであった。ベスグロは一度同伴したことがあるYさんが獲得。
ニアピン、ドラコンも実力派がゲット。そして驚くべきは18番ホールでホール・イン・ワンが出たのです。確か185ヤードくらいだったと記憶するが、5番アイアンでエース達成だから、これも運でなく実力によるものだった。

前田社長からスタッフの紹介があったり、社長のお子さんが愛嬌を振舞ったりと親近感のあるパーティでした。
加賀屋ゴルフの益々のご発展を祈願し、また100万アクセス達成記念コンペをも健康な体で参加したいと念じながら、レインボーブリッジの大渋滞の中、3時間15分のドライブを終え、帰宅しました。
祝! 50万ラウンド、加賀屋ゴルフ万歳!


− 私の名前は渡若造 12話 −

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