エッセイ完結の挨拶・・・<あとがき>

2006.08.09
私は、当ゴルフエッセイの引き際は、今が適当だと判断しました。
@連載を始めて26ヶ月が経過し、数字として区切りのいい50回を迎えたこと
A執筆当時65歳だったのが67歳になり、完全に老人の部類に位置していること
B健康を損ねて止むを得ず連載を中止するのでなく、健康で元気にしている間に終了したいと思っていたこと
C題材が偏らないよう広範囲にテーマを見つけることを意識してきましたが、内容が固定化してきたのではないかと感じること。読者の年齢分布が不明なれど、若い読者から見れば、内容が年寄りじみていないかと気になっていた。
Dゴルフ歴30年のアマチュア・ゴルファーとして、遠慮なく、所感や主張を述べたこと。当初、題材が見つからずに苦労するかと心配しましたが、格別苦労することなく、月2回のペースで思うがままに書くことが出来ました。

この連載を続けた成果として、惚け防止に役立ったことは間違いありません。
また、見知らぬ人を含め多くの方々から話題にされたのは、変化のない生活の中で楽しみの一つでもありました。加賀屋ゴルフのスタッフの皆さんや若いゴルファーとの交流が生まれたのは、エッセイ執筆の賜物であります。

2年以上に亘り、拙文に目を通して戴き、有難うございました。
特に、毎回精読していただいた読者には厚く御礼申し上げます。
読者の皆様が、健康に留意され、家庭を大切にし、仕事に精励され、ゴルフライフを満喫されることを祈って、お別れの言葉と致します。さようなら。
渡若造は今日も元気に、緑の絨毯を闊歩する!

             平成18年8月8日   渡 若造



                 渡若造さんへ贈る言葉

渡若造第一話にあるように私と渡さんとの最初の出会いは、平成8年9月26日Sゴルフクラブの購入に際し私が渡さんの当時の勤務先にお伺いしたのが最初でありました。
それから幾年かの年月が過ぎ、平成16年1月17日の土曜日に、弊社に渡さんからのお電話が鳴ったのです。大概の土曜日には現場(笑)に行って会社に来ない私なのですが、たまたまこの日は出社しており、渡さんからの電話を受けました。電話を受けながら、渡さんから「私は以前御社でSゴルフクラブを取引してもらったことがあるんだよ」と告げられたので、すかさず私は「△△の会社の方でしたよね」と答えました。その時は、渡さんが電話の向うで大変驚いた(名乗ってもいないのになぜ?)様子だったのを覚えています。
そしてその年の2月24日、Kゴルフ倶楽部の取引で弊社にご来店頂いたのですが、その時、渡さんは1冊のエッセー集を持っておられました。手に取らせて頂き、数ページを読ませていただきましたが、辛口の論評ながら描写が小気味良かったので、読ませていただけませんか?と少しの間その1冊のエッセー集をお借りしました。
そのエッセー集とは渡さんがご自身で定年後にお書きになられたものを数冊作り、ご友人に渡された私設エッセー集だったのです。
私はあっという間にそのエッセー集を読み、その感想を渡さんに申し上げ、今後の渡さんのエッセーをぜひとも加賀屋ゴルフのホームページに寄稿して下さいと3月4日にTカントリー倶楽部のお取引にご来店頂いた際にお願いしてみたところ、渡さんより「承知致した」との快諾を貰ったのです。
かくして、『私の名前は渡若造』の連載が平成16年6月15日より始まりました。
『私の名前は渡若造』は大きく分けて、@前立腺がんなどの健康にまつわる話Aゴルフのマナーとルールに関する話B女子プロのヘソ出しについての話Cゴルフツアーにおける話Dインターネットの普及によるゴルフ事情の変化の話に分類されると思います。
いずれも渡さんの<私はこう思うぞ>という強い意志が感じられます。また、渡さんの”思い立ったらすぐ実行”は誰にでもなかなか真似は出来ないことだと思います。女子プロ協会の樋口会長にすぐさま手紙を出したことはその最たるものではないでしょうか。”思い立ったらすぐ実行”は私の今後の人生における格言の一つとなりました。
私が『私の名前は渡若造』の50話で印象に残っているのは、

第4話   嘘のような本当の話
     中州のおばちゃんの次回会った時の知らんぷり(こんな人にはなりたくない)
第7話   ルールは自分に厳しく
     誤球のしたSさんの毅然とした態度(こんなゴルファーになりたい)
第15話  ゴルフを通じて広がる交友の輪
     渡さんのゴルフを通じての交際を垣間見て(ゴルフってやっぱりいいなあ)
第17話  またまた入ってしまいました
     加賀屋のボールは魔法のボール?(顧客の方から加賀屋と取引してツキ出したと言われる)
第26話  インターネットとゴルフ場の予約
     インターネットは今では誰でもが活用する時代だ(世の中は大きく変貌していくだろう)
第30話  ゴルフ仲間のお通夜で想う
     健康診断は絶対欠かしてはならない(健康に留意し、思い立ったらすぐ実行に移すべし)
第32話  解決策はないのでしょうか
     人に迷惑をかけるプレーヤーはそのうち廻ってくれる人がいなくなる(絶対なりたくない)
第44話  握りについて考える
     握りは大好きだがほどほどが大事である(握りで友人を失くすのは不幸だな)
第46話  外資系のゴルフ場を論評する
     外資運営のコースの長所と短所(短所を少し直してくれればメンバーはどれだけ喜ぶだろう)
第49話  ネットでゴルフ親睦会に入会
     芝先案内人コンペでビックリしていた人が今度は(インターネットってやっぱり便利だ)

の10作品でありました。
第50話のゴルフって楽しいなぁは『私の名前は渡若造』最後の作品でしたが、ポエム調の締めは渡若造のラストに相応しいものでした。いくつもの大病を克服され、ゴルフにおいても67歳になられて尚ハンディを10に上げ、シングル入りが期待できる寸前の腕前まで自分の技量を高めておられる姿は、まさに敬服に値します。
どうかいつまでもお元気でいてください。そして、もし、加賀屋ゴルフのホームページで伝えたいことが出てまいりましたら、またペンを握ってください。
加賀屋ゴルフのホームページをご覧になられている読者は、きっとその時が来るまで渡若造をいつまでも待っていることでしょう。
最後に皆を代表して、渡若造さん、本当にお疲れ様でした。そして丸2年を越える連載に、前田信吾心から御礼申し上げます。

                                  株式会社 加賀屋ゴルフ
                                   代表取締役 前田信吾


− 私の名前は渡若造 51話 −

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