ゴルフ会員権を購入され、ゴルフライフを楽しまれたいお客様のご参考に

還暦を過ぎ数年、今年から年金の支給を受けられる年となった。50代の時は、年金なんて本当に貰えるのかという感じだったが、現実に受給できる年齢に達すると、終活が現実味を帯びてくる。
今後、どのようにリタイアしていくのか、現在の体調は何歳まで継続できるのか、そしてQOL(Quality of Life)はどのような水準で推移するのか、などなど、若いころと違って一年一年の重みが増してくる。

古今東西のゴルファーが「終の棲家」としたゴルフ場はどこなのか探してみた。

1.アリスターマッケンジー(Alister MacKenzie)
1870年イングランドのノーマントンで生まれたマッケンジーは、生涯にリデザインも含めて72のゴルフ場の設計に従事する。 そのこともあって、1905年Cleckheaton & District Golf Clubの最初の設計から22番目のDouglas Golf Clubまではイングランドを中心に設計していた。
1924年ニュージャージのCanoe Brook Country Club South Courseを設計したのが、米国で初めての模様。
有名どころでは、1926年The Royal Melbourne Golf Club、1928年Cypress Point Club、1929年Pasatiempo Golf Clubそして1933年のAugusta National Golf Clubで設計家としての筆をおいている。亡くなる1年前のことである。

マッケンジーは、1929年に設計したPasatiempo Golf Clubを「終の棲家」として4年間ほど楽しんで天国に召された。その時、マッケンジーは63歳、現在の自身と同じ年であり、あまりに早い人生と言わざるを得ない。

Pasatiempoとは、スペイン語で「趣味」という意味なのだが、直訳するとPass timeで「時を過ごす」という意味もある。
マッケンジーは、ここPasatiempo Golf Clubで、正に人生の最終ステージの貴重な時間を過ごそうとしていたに違いないと思う。あるいは、そう願って命名したのかも知れない。

Pasatiempo Golf Clubは、Pebble Beach Golf Linkから約60㎞北にあるSanta Cruzとうい海沿いの街にある。

https://www.pasatiempo.com/
LA駐在員時代に、一度ラウンドしたことがある。今もHPで確認すると、セミパブリックで運営されている。
2001年当時でも、平日カート込みのセルフプレイで120ドルほどしており、高級感あるゴルフ場だった記憶がある。

アウトの一番は、下記の画像の通り、林でセパレートされており、フェアウエイが右から左に下がっており、自然の地形を生かした、そこそこ緊張するけれど、スライサーのアマチュアには、比較的穏やかにスタートしていけるコースだった。
カートは、冬季や雨期は、90度ルールがあって、カートはカート道を走り、ボールの横までくるとカート道から直角にボールまでカートで行ける。
勿論、フェアウエイの状態が良い時は、フェアウエイも走行可能である。

マッケンジーの設計したコースは、Thrill of Natureを生かして設計されていると思う。
あまり期待しないでのラウンドだったが、心地よい気分で帰途についたことを思い出す。

10番のグリーン周りは、深いバンカーでガードされており、長いクラブのセカ
ンドショットは、緊張感の高いものとなる。

18番はショートホールとなる。奥にクラブハウスが見えるホールでリンクス風。
左にピンが切ってあると難しさが増す。見た目は美しいが、自分のキャリーをしっかり把握できないと大たたきするホールである。

自身で設計したコースでラウンドしながら、生涯を終えるというのは、ゴルファー冥利に尽きるし、羨ましい限りである。
Pebble Beach Golf Linksを訪れた際は、ここPasa Tiempoでも在りし日のマッケンジーを想いながらラウンドするのも一興だと思う。
2.中部銀次郎(Ginziro Nakabe)1942-2001
中部銀次郎もマッケンジーと同様、59歳と若くして生涯を終えた一人である。
プロよりも強いアマチュアとして有名だが、それよりもゴルフへの取り組み姿勢が多くのゴルファーの心に残る。
終生、帽子やバイザーを付けずにラウンドするスタイルで貫き通したのも有名である

マルハニチロ創業者の中部幾次郎を祖父に持つサラブレッドで、晩年マルハのゴルフ場運営会社であった大洋クラブの会長を務め、同社の運営していた「久慈大洋ゴルフクラブ」のコース設計にも携わっている。

そんな史上最強のアマチュアゴルファーが、晩年愛したのが「カレドニアンゴルフクラブ」である。
小生は、6年前に加賀屋さんでお世話になり、同クラブに入会させていただいた。

カレドニアンのHPや会報誌のなかで、中部氏のコースに対する考え方が記載されている箇所があるので紹介したい。

[ トーナメントのゴルフと愉しむゴルフ ]

1989、90年と二度にわたってマスターズ・トーナメントのテレビ中継でゲスト解説者として、『オーガスタ・ナショナル』を見たことがあります。
 オーガスタと言えば、世界中のゴルフコースの "設計上の教科書" と見なされ、 "世界一美しいコース" と呼ばれているのは私も知っています。どちらと言えば、戦前に造られた日本の古いコース、『廣野』や『東京』で育った私の目からしても、確かにオーガスタは景観の美しいコースでした。
 しかし、それはプレーヤーとしてではなく、一局外者、傍観者としての私の感じ方であって、もしも私があのコースに立ってプレーするとしたら、あのフェアウェイの起伏、バンカーの形、樹木の枝一本、青い水面、マウンドの大きさ…全てがハザード(障害物)としか見えず、美意識に目覚めている暇など、爪の先ほども生じないと思ったのです。
 私がこう申し上げると、読者の中にはきっとこう考える人がいるはずです。「オーガスタは球聖ボビー・ジョーンズと近代設計学の巨匠、アリスター・マッケンジー博士が共同設計した世界一の名コースなのではなかったのか?」
 確かにそのとおりです。見た目に自然が美しく、誰がプレーしても愉しいことを目標にしてオーガスタは設計されたと聞いています。
 その設計原案の二人の精神は50年以上の歴史を経て、ジョーンズが亡くなった今でも、コースのどこかに守られているのでしょうが、マスターズというトーナメントの舞台、世界の名プレーヤーが挑戦する時のコースしか見ていない私には、あまりに過酷な条件が在り過ぎると思えてならなかったのです。
 ほんの一例をあげれば、2番、10番のフェアウェイにある起伏は、越せるロング・ヒッターにはよりボールが転がりやすく、越せないショート・ヒッターにはランをせず止まるように設定されています。
 名物パー3の16番グリーンは全体に池に向かって傾斜しており、池寄りにピンが立った場合、ピンの根元にボールを落とすのはミス・ショットになります。グリーン右にあるバンカーとグリーン・エッジの間を狙い、ボールの自重で傾斜を転がることを計算しなければならないほど、アンジュレーションのある速いグリーンなのです。
 こういうアクロバチックなショットの連続で4日間のラウンドをこなすには、我々日本人の想像を絶する体力と精神力が必要で、私には人間業とは思えなかったというのが実感でした。
 ただし、オーガスタの会員がプレーを愉しむ普段のコースの表情はもっと違うはずです。
 聞くところによると、ジョーンズとマッケンジーの設計主眼は "パーやボギーを狙ってプレーするには易しく、バーディを取るには難しい" ことだったとか。だから、ボール探しでプレーヤーを苛立たせるだけのラフをなくしたマッケンジーの考えには私も賛同します。また、ジョーンズの有名な言葉に、「ゴルフには二種類ある。トーナメントのゴルフと愉しむためのゴルフと」。
 このまったく異なる二つのゴルフを一つのコースで全うさせようという発想がコース設計の永遠のテーマだと思うのですが、オーガスタでさえ、そのひとつの解答に過ぎないと私には思えたのです。

カレドニアン18H(左)と13H(右)


[世界レベルのコースを目指す ]

 何故、オーガスタのことを長々と綴ったかと言いますと、この度、縁あって東京グリーンの早川治良社長と面識を頂き、『富里』や『カレドニアン』をプレーした感想を求められた時、私はすぐにオーガスタを連想したからなのです。
 特に、カレドニアンにはプレーして愉しく、歯ごたえのある難度が心地良い範囲で、コース設計の永遠のテーマに対する一つの模範的解答があると思えたのです。
 早川社長がアメリカ人設計家のマイケル・ポーレット氏と夜を徹してでも話し合ったと聞いて、二人が "日本に於ける世界レベルのコースを目指した" ということが随所に感じられたからです。山武杉の森を背景にしたグリーンと水面に接する渚のようなバンカーを見ると、この極めて欧米的な景観の中に、日本人の伝統的美意識の一つに "白砂青松" というものがあるのだから、人間の審美感には人種の違いはないと思って見たりしました。
 ただし、この美観もプレーする時にはハザードとしての別の顔を見せます。
 例えば、13番や18番のティ・ショットにはプレーヤー自身の正確なキャリーの飛距離を把握していることを要求されます。その数字によってそれぞれのプレーヤーのターゲットが違ってくるのです。特に、13番のように水面上を通して距離を目測するのは難しい技術の一つです。
 18番もワン・ストロークを争うトーナメントであれば、安全な左のフェアウェイへ4番ウッドで打つところでしょうが、愉しむだけのプレーならばドライバーで水と渚を越すルートに挑むのも一興でしょう。
 このように一つのホールに多くの攻略ルートがある設計パターンをストラテジック(戦略型)と言うのでしょうが、普段のカレドニアンには大トーナメントでのオーガスタほど過酷でない範囲で、ルート選択の幅があるホールが多いと感じました。
 つまり、プレーヤーを必要以上に困らせたり、難度の高いショットを連続して要求していず、リーズナブル(理に適った)で、フェアに思えました。
 フェア・プレーの精神はプレーする側の問題だけでなく、コース設計の側にも必要不可欠なものだと考えます。"トーナメントのゴルフ" をもう終えた私ですが、"愉しむためのゴルフ" をしに、何回でもカレドニアンのティに立ちたいと思っています。

 トーナメントのゴルフで厳しい戦いを経た素晴らしいゴルファーである中部氏が、晩年愛したカレドニアンは、その見た目の美しさの中にフェアな設計思想を有したゴルフ場で、「終の棲家」としてラウンドされていたのが興味深い。
3. 白州次郎(Jiro Shirasu)1902-1985
白洲氏は、GHQとの交渉で「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたのは、有名な話で、その合理的・論理的な考え方やフェアな価値観、そして卓越した英語力など、今の日本人にとって不可欠な能力を、当時有していた稀有な人物である。

83歳で鬼門に入るが、80歳までポルシェ911Sを駆って出かけていたとは、スーパー爺さんであったと思われる。

その白洲氏が、晩年愛したゴルフ場が、軽井沢ゴルフ倶楽部である。同氏は、同ゴルフ倶楽部の理事長も務めていた。

[旧白洲邸 武相荘]HPから抜粋

「晩年の次郎が心血を注いだのが、軽井沢ゴルフ倶楽部です。芝の手入れから、従業員の生活、会員の行儀にいたるまで、 ひとつもゆるがせにしませんでした。正子は「歴代総理大臣には随分迷惑をかけたに違いない」といいますが、会員でなければ、 総理大臣でも追い返す、SPをコースに入れるなどもってのほかという姿勢を崩しませんでした。」

軽井沢ゴルフ倶楽部では、その名残から、1Hと10Hでのティインググランドでの素振りは厳禁で、まさに「Play Fast」が求められる。

 http://www.kagayagolf.com/golf/20160901.html
 http://www.kagayagolf.com/golf/20160902.html
小生は、未だ同ゴルフ場をラウンドしたことがないので、2016年9月に前田社長のラウンドされたゴルフ日記を添付させて頂いた。

前田社長は、日本のゴルフ場ベスト10の中でも、軽井沢ゴルフ倶楽部を廣野に次いで2位にランクされている。

その評によると、すべてがプレイヤー本位に運営されていること、ランチメニューが毎日変わったり、好きな時間にスタートできたり、それを支える従業員の皆さんの心意気が伝わってくる。

 次回は、このような先人の教えに学び、自身の「終の棲家」について考えてみたいと思う。

 

掲載日:2020年6月24日