(特別版)第69話『若造ゴルフin台北』

私の名前は渡若造


今年の8月にハワイへ旅し、海外ゴルフの快感を味わいました。最後だと観念していた海外遠征への欲望が蘇ってきた際、「台湾へ行きたい」と言う友人がいたので台湾への遠征を企画しました。台湾はハワイより国民が親日的で日本語があちこちで通じる魅力があります。ところがその友人が膝が痛くてゴルフできない事態となり、仕方なく単独で行くことにし、航空便とホテルをネットで予約しました。

訪台の際にお世話になる元勤務先の後輩(第57話参照)は2年前に病死してしまったので、頼るのは日本人相手のミニクラブのMママだけとなり彼女に連絡を入れ、同伴プレーとゴルフ場の予約を依頼した。

早朝、羽田空港に行ったが国際線ターミナルが拡充され、地方空港より大規模になっていたのに驚いた。機内では隣席の女性に声をかけると話が弾んだ。台北へ仕事の出張で行く形成外科の女医さんでした。お互いに初対面とは思えない程、話が弾み4時間弱の機上はまったく退屈しなかった。私の息子と同年齢だったのと元部下の女性と全く同じ家庭事情だったのは奇遇でした。

台湾へは過去何度も行っているので、訪問したゴルフ場は15か所を超える。今回はママと2人だけなのでタクシー代を安くするために台北近郊のゴルフ場にした。そして2か所とも未体験のゴルフ場にした。初日は新淡水ゴルフ場(新淡水高爾夫球場)を選んだ。Mさんに旧淡水(台湾ゴルフ倶楽部淡水コース)にするかと尋ねられたが、旧淡水は狭い上に距離が長く、年中風が強くて難し過ぎるので敬遠した。新淡水も旧淡水に近いゴルフ場だが、かなりのアップダウンがあるゴルフコースでした。山の上に位置しているので見晴らしは良かった。コースから立ち並ぶ高級マンションが何か所も見えた。BT6481ヤード、RT6106ヤードで私は白マーク(RT)から打った。天気予報は雨でしたが、降りそうで降らずに済んだのは幸いだった。2日目は大屯ゴルフ場(大屯高爾夫球場)でBT6548ヤード、RT6316ヤードでここでも白マークからプレーしました。このゴルフ場はコース内に花が植えてあり、美しい景観でした。ここでも天気予報は雨だったのに薄日が射す幸運に恵まれた。Mさんは両コースとも赤マークから打ったが第3打が上手く、ボギーゴルフを重ねた。私はショットは悪くないが、相変わらずグリーン周りが下手なのとグリーン上で距離感悪く、ショートパットを残しそれが入らない。2日間とも同スコアで49・43の92で目標の90を切れずに残念でした。

台湾のゴルフ場は日本に比べると総じてフェアウエイの芝付きは悪く、アイアンショットが難しい。また高速のベントグリーンに慣れた私には日本に比べ極端に重いグリーンに泣かされた。毎回そうですが、分かっているのに打ちきれずショートする失敗を繰り返した。2日間で3パットは8回に及びました。相変わらずゴルファーのマナーは良くなく、バンカーには足跡が残ったままの状態が多かった。バンカーは日本に比べて浅く、砂は少な目なのでバンカーショットは容易でなかった。新淡水ではティグランドに距離表示がなかったが大屯ではありました。100ヤードと150ヤードと200ヤードの表示の杭はあった。世界中で恐らく日本のゴルフ場が最も親切で、手入れが良いのではないかと思います。芝付き・グリーンの手入れ・距離表示・ショートホールでの当日の距離表示・ナビ完備・浴場の豪華さ(タオル・バスタオル・整髪剤・ドライヤー・ビニール袋等)



クラブハウスは日本ほど豪華ではない。殆どシャワーのみで浴場はありません。更衣室の中にトイレがあるのが多いようです。ハワイ・オーストラリアでも同様でした。



プレーはスループレーで、2日間とも空いていて到着するとすぐにスタートしました。練習グリーンで1球も転ばさずにスタートするのは不安だった。2人の客に1人のキャディが付きます。キャディは片言の日本語を話すのでゴルフだけなら意思は通じます。2日間とも所要時間は4時間25分でした。あるホールでは4人組に追いついたらキャディはそのホールをすっ飛ばし、先のホールへ行き、後で再び同ホールに戻る離れ業を見せました。8時にホテルを出発して15時過ぎにはホテルに戻っていました。

プレー費はキャディフィ込み・簡単な食事をして2500元、日本円で10000円程度です。月曜日と水曜日のプレーでした。


添付の写真は大屯ゴルフ場で撮ったものです。ゴルフ日記や芝先案内人等のレポートに写真が添付されていますが、シャッターを構えながらラウンドするのは落ち着かないものです。また、撮影専門でないので撮影アングルに苦労しました。



3年ぶりの台北でしたが、ゴルフ以外に触れておきます。丁度地方選挙の開票日だったのでテレビは全日選挙報道でした。馬総統の与党が野党たる民進党に各地で敗北したので大きく報道されていました。テレビの言葉は分からないが、漢字の語感で何となく意味が分かります。話した人は何れも『台湾人の独自性が示された』と言っていました。馬総統は人気がないようです。両替は羽田空港内で行いましたが、円の安さと共に場所によるレートの違いに驚きました。ネットで見る予備知識では、元1に対し円は3.8(1円は0.263元)でしたが、現実は手数料を入れて羽田空港のS銀行は0.229、ホテルでは0.24、台湾銀行では0.262でした。頻繁に行く人は考えないといけません。

ホテル・飲食店やゴルフ場で日本語を耳にしますが、以前に比べ少なくなりました。

台湾人か中国本土の人か分からないが大声で話す中国語が目立ちました。台湾への日本人の年間訪問人数は100万人を割っているかも知れません。30年前の日本人団体客の醜態はまったく見かけなくなった。台北市内の日本料理店に行くと満員の盛況なのですが、日本人は少なく現地の人達で一杯でした。マグロの国際価格が値上がりするのが理解できます。

街を歩いていると日本と同じく若い人はスマートフォンに夢中です。電車・バスの中は勿論ホテルのロビーでもいじっていました。外出して道を間違えたのでホテルが分からなくなってしまい、若い人を捕まえて聞きました。若い女性はスマートフォンを取り出し、地図を見せて教えてくれました。便利な時代になりました。

中国語は勿論のこと、英語さえ出来ない私ですが、若い人相手なら単語英語でも何とか通じるものです。帰国日の午前中は雨の中を一人で国立国父記念館と行天宮を訪れました。縦横に開通したMRT(モノレール)は安く、外国人でも移動に便利です。公的交通機関の料金は日本の半額以下でした。駐車場不足の台北はオートバイと自動車が溢れていますが、30年前の面影はなくゴミや紙屑がまったくない美しい街でした。

台湾も経済の空洞化が進み、中国本土に重点が移りつつあります。日本企業の台北駐在員が減り、日本人相手の林新北路の店は不況だと聞いていましたが、遂にMママの店も年内で閉店することになりました。店では最後のチャンスだったので、私は2日に亘り新曲の演歌を17曲歌いました。

帰りの機中の隣席は20代と思えるアジア系の女性でしたが、英字新聞を読み英語を話していたので一言も言葉を交わさなかった。往路と正反対でした。

『ゴルフの内容は兎も角、行動力だけが取り柄の若造ゴルフin 台北だった』と思いながら自宅に帰ると訃報が届いていました。

元同僚の妻70歳・兄76歳、中学時代の同級生女性の夫79歳、卓球仲間の兄79歳、元上司84歳、歌仲間の妻77歳・夫84歳・・・合掌!

年末なので一年間の活動をまとめると、卓球は125回でオープン大会は年齢別混合ダブルス3位が最高位。ゴルフは練習65回と43Rで平均スコアは白マークから89.2でした。カラオケは惚け防止に新曲ばかり45回歌いました。健康に心より感謝!感謝! 



平成26年12月16日   渡 若造