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タイムマシーンがあったら  in 万木城カントリークラブ

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最初は、学ぼうと思っていた。学ぶために大学に入った。
やる気は、ものすごくあった。入ったら、周囲の環境はそうはしてくれなかった。
すっかり、流されていた。自分の意思は弱かった。

大学に入学して、1週間もしたらいろいろと挑戦したいと思った。
ジュリアナ、マハラジャにも行って夜通し踊った。サーフィンもしてみた。
その一日はものすごく楽しんだが、その後何回も続かなかった。

そんな中 5月上旬に、友人に誘われゴルフ練習場へ行った。
止まっているボールなんて簡単に打てると思っていたが、これがなんとも難しい。
100球以上は、打っただろうか。5球ぐらいは、なんとも言えない感触があった。
うまく芯にあたり、ボールが飛んでいるのですが 手に重みが来なかった。
もちろん友人から借りているクラブである。私が初めてゴルフをした時である。

ゴルフ界では、ジャンボ尾崎中心に毎週 ジャンボ軍団が 優勝している時代です。
ジャンボ軍団は、ファーストアドバンテージは飛距離と考え その豪快な飛びを見せていた。
それを見たゴルファーは、ジャンボ軍団に憧れていた。
尾崎3兄弟が絶好調で、ブリジストンの Js と言うブランドが一番人気であった。
ちょうど、木のヘッドから メタルに代わり カーボンシャフトなどが発売されたころであった。

クラブを購入するために、一生懸命バイトした。
当時は、バイトも充実していた。とても景気が良かった。
働けば、お金は何とかなったものであった。
就職戦線異状なしと言う映画の時代である。

そして、テーラーメイドのドライバーを手にした。
ゴールドのカーボンシャフトを購入した。6万ぐらいしたのを覚えている。
アイアンは、ミズノプロで 3IからSWまで10本揃えた。
中島プロ、倉本プロがミズノだったからだ。10万以上していた。

今考えれば、怖いもの知らず、世間知らずのクラブの購入である。
10年近くは使うだろうとか、かってな思い込みからである。

それから、練習場へ行きました。もちろん、一人でも行きました。
練習場で打っていると、多くの人に教わりました。これが良くなかったのかも。
だいたい隣で打っている人が、『力だけじゃないだよ』 とか言って話がはじまります。
数年は、このセリフが中心でした。この時の変な癖が今だにあるのであろう。
この時に、レッスンプロに習っていれば もっと違うゴルフ人生だったかもしれません。

初めてのプレーは、ゴルフ歴1か月で 6月の暑い日であった。
千葉の房総半島にある万木城カントリークラブである。
アクアラインはもちろんなく、高速も蘇我インターまでしかない時代であった。
友人の親が会員であり、平日に予約をして頂いた。
万木城の会員権は、2千万を超えていた。600万で購入したのが2千万になったと言っていた時代である。
今の価格からは想像もつかない感じである。しかし会員でないと平日ですら、予約は出来ない時代であった。
会員権は、売ったらもうゴルフはできなくなるとか(もう会員権は買えないので)、
利益の半分は税金で持っていかれるとか話をしていたのを覚えています。

ドキドキ わくわくしながら運転して、ゴルフ場へ行った。5時前に家を出たのを覚えている。
ブレザーはなく、親に借りた。まったくサイズがあっていなく、どこから見ても借りたのは分かったと思われる。
初めてのゴルフ場、何をしていいのか分からず (当時はネットもないので) How to本で勉強した事を思い出しながらクラブハウスに入った。
受付をしたりして、何とかなったと思った。
このHow to本には、『もっとも嫌われる人は、プレーが遅い事』 と書かれていた一文があり、自分がゴルフをする上で 今でも心がけている事になっている。

そんな日本がもっとも元気な時代の中、18才の自分は初めてゴルフ場のティーグランドに立ったのである。
南ホール1番のティーグラウンドから、初めて見たゴルフ場のあの緑は何とも強烈な残像が今でも残っている。
あの強烈なインパクトは、忘れる事は出来ないであろう。脳の海馬にしっかりときざまれている。

18才の自分は、スライスヒッターで ここのティーショットも もちろんスライスであった。
コースも右にドックレッグしており、右斜面が受けてくれて何とか右ラフに行った。
極度の緊張状態だった私は、打った後 解放され 安どした瞬間であった。
心臓がドキドキ音が鼓膜を突き破るぐらい大音量であった。

2番では、OBを連発してしまい 前進して6打でプレーした事。
3番では、奇跡のアプローチでパーを取った事。
このパーがあったから、今でもゴルフをしているのかもしれない。
バンカーから奇跡的に入った事もあった。
ここでプレーすると、遠い昔の記憶が次から次へと出てくる。
昨日の出来事はすっかり忘れるが、ゴルフ場初日の風景は鮮明に残っているものです。
18ホール終了して、当時何だかわからない達成感があった。

はじめてプレーしたゴルフ場は、その時の自分をも鮮明記憶している。
・何の結果も出していないのに、生きがっていた事
・偉くなるんだ、お金持ちになるんだ、と形ばかり気にしていた事
・訳のわからない自信に満ち溢れ、自分が一番だと信じていた事
次から次へと出てきます。

今は、万木城カントリークラブが私に教えてくれているのです。
コースが、その時代を、その時の自分を、その頃の出来事を記憶しているのでしょう。

万木城は、房総半島にあり 交通の便はあまり良くありません。
遠いですが、行ってプレーする価値はあります。
メンバーの多くは、神奈川から来る人が多いとの事です。
木更津東から高速が出来れば、かなり便利にはなります。

この日は、日曜日で多くのメンバーはセルフでプレーしているようです。
メンバーにとっては、とてもプレー代が安いので気に入っているとの事でした。

クラブハウスは、古くなっておりますが 随所に改修してとてもきれいです。
特にロッカー室が広々していて良かったです。
レストランの天井も高く、とても広く感じます。

練習場も充実しており、アプローチ練習場がクラブハウス前にあるのはありがたい。
多くの人が朝練習しておりました。
コースは、東 南 西と27ホールあり 距離があるタフなコースである。
ティーからOB杭は見えるのですが、とても広いから何とかなります。
片側は、斜面で受けているので そちらへ打っていく事でしょう。
谷越えのティーショットもあり、緊張感を味わえます。西コースは,池が多く配置されております。
打ち上げのホールも、打ちおろしのホールもいくつかあり、難易度はかなりあります。

昔からグリーンには定評があり、下りはとてもいい転がりでした。
3パット7回ではどうしようもありません。パーオンしても、ボギーですから。
袖ヶ浦以来、完全に自信がなくなり タッチが分からなくなっております。

そして、あれから二十数年たち 今日も18ホールが終了した。
スコアは66打少なくなり、


PAR 5 4 3 5 4 4 3 4 4 36
王子 7 5 5 5 4 4 4 5 5 44
西
PAR 4 5 4 3 4 4 3 5 4 36
王子 6 6 5 5 5 4 3 6 5 45

そして、あの時の自分と同じ18番ホールにいる。
 あの時と違う、妙な達成感を感じた。

もし、タイムマシーンがあったら あの時の過去の自分に会って 18番ホールでこう言いたい。
 『ゴルフはじめて良かったですよ、いい趣味を持ちましたね』
 『ゴルフをして、多くの人と出会いますよ』
 『ゴルフを通じて、今後の多くの事を学びますよ』
などなど。

同じように、タイムマシーンに乗って未来に行く事ができても きっと行かないだろう、、、、。
 この先の人生の楽しみを なくしたくないから。


2012年