(特別版) 『グランドシニア選手権』

2008.10.02

退職して「毎日が日曜日」になって以来、土曜日・日曜日のゴルフを10年近くしておりません。理由は、週末は働いている若い人達に譲りたいという若造流の美学の外、わざわざ混んでいる日にプレーすることはないとの思いがあるからです。近頃は、卓球ばかり熱心にしており、ゴルフは練習・情熱とも希薄になっている。ところがシニア$レディス杯で何度か一緒にプレーした人から「グランドシニア選手権は数えの70歳以上だから渡さんも出場資格がありますよ。遊びがてらに一緒に出ましょう」との誘いに乗り、9月末の日曜日に行われるセントラルゴルフクラブのグランドシニア選手権にエントリーした。

競技委員長と支配人が見守る中、ティショットするのは数回出場したシニア選手権以来である。同伴者は、74歳、元シニアチャンピオンの71歳、70歳の飛ばし屋、それと最年少の私である。私は記念だからと思い盛造ボール(一生の不覚と嘆いた目土盛造さんのホールインワン記念に下さったボールでHIOと目土盛造の刻印がある)を使用することにした。東コースの1番は495yのロングホール。弱弱しい私のショットはファアウエーを捉えた。クラブ選手権と違いグランドシニアはさしたる緊張感もなく、和気藹々であった。驚いたのは皆さんよく飛ばすのである。常に私は最初に第2打を打った。特に70歳のSさんはグランドシニアとは思えない弾道で、ボールが伸びる。Sさんは私より20〜30ヤード先へ飛んでいた。Sさんに「若い時に何の運動をされていたのですか?」と尋ねると「学生運動しかやっておりません」とは冗談が上手い。同伴者の元気さを見ていると、これが70歳代の競技かと長寿国ニッポンを改めて感じた。

私のゴルフは、距離のあるコースではボギー狙いをし、時々チャンスあればパーを拾い、85前後のスコアが目標である。前半は完全なボギーゴルフに終わった。後半のスタート時にボールを取り替えようかな?と思ったが、ゲンをかついで盛造ボールを継続したが、後半はパーが取れるようになった。18番ホールは536yのロングホール。最後だし自分も飛ばしたいと力を入れたら身体が開いてスライスボールで右の土手に当り飛距離180ヤード。第2打は4Wのナイスショット。第3打は残り185ヤード。グリーンの左手前が池、右がバンカーなのでその間を4Wで狙うとナイスドローで右側のグリーンエッジに行った。上りなのでパターで強めに打つとカップを1.5メートルオーバーした。パーパットは下りの難しいスライスライン。慎重にヒットするとカップの真ん中からコロンと入った。拾い出そうとボールに目をやると『METUCHI MORIZOU』と書かれたボールがこちらを向いて微笑んでいた。その後、同スコアだった元シニアチャンピオンは1メートル弱のパットを外してしまった。

集計所に行くと若造は2位タイ、年齢差で3位となった。もし元チャンピオンがパットを失敗していなかったら、年齢差で4位になるところだった。表彰式の後、記念撮影があり、ジャケットを着用していたのでよかった。シニア選手権で入賞した時は、暑い頃だったので上衣を着て行かず写真撮影時に肩身が狭かった。優勝者は76歳の方で、昔クラブチャンピオンの経歴の持ち主。最近絶好調で、あちこちのシニア杯を総なめにしているようでした。本人から聞いた話だが『エージーシュート6回』の強豪でした。76歳でも好スコアで回れるのだから、私にとっては大きな励みとなった。加賀屋のお客さんは若い人が多いが、年寄りも老け込むことはない。私はこれから6年はゴルフを元気にやれると勇気つけられたグランドシニアでした。

思い起こせば、多摩カントリーで自身4回目のホールインワンを達成した時は、加賀屋ボール(加賀屋コンペの参加賞で頂いた加賀屋ゴルフの刻印入りのボール)だった。

加賀屋ゴルフ或いはその関係者のボールを使うと幸運がやってくる・・・ここまで書くとヨイショし過ぎかな(笑)


平成20年10月2日 渡 若造



− 私の名前は渡若造 −