ゴルフ場倒産情報

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2004年3月31日(水)
経営会社:株式会社鹿沼カントリー倶楽部
       東北縦貫開発株式会社
       株式会社栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部
       株式会社ケイ・ジー百八倶楽部
該当するゴルフ場:
鹿沼カントリー倶楽部   栃木ケ丘ゴルフ倶楽部
鹿沼72カントリークラブ
適用:民事再生法を申請
負債:1216億円

株式会社鹿沼カントリー倶楽部(資本金2000万円、東京都千代田区内神田3−2−11、代表福島文雄氏、従業員144人)とグループ会社の東北縦貫開発株式会社(資本金1億円、同所、同代表、従業員60人)、株式会社栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部(資本金8000万円、栃木県栃木市細堀町376、登記面=東京都千代田区内神田3−2−11、同代表、従業員80人)、株式会社ケイ・ジー百八倶楽部(資本金2000万円、東京都千代田区内神田3−2−11、登記面=東京都港区六本木5−5−1、同代表、従業員44人)の4社は、3月31日に東京地裁へ民事再生法を申請した。
 申請代理人は白井徹弁護士(東京都千代田区神田須田町1−16、電話03−5295−3135)。監督委員には今井健夫弁護士(東京都新宿区新宿2−8−1、電話03−3356−5251)が選任された。
 株式会社鹿沼カントリー倶楽部は、1969年(昭和44年)8月、別会社が運営していたゴルフ場(鹿沼カントリー倶楽部)(栃木県鹿沼市、45ホール、1964年オープン)の経営を継承する目的で設立、同ゴルフ場は、栃木県内でトップクラスの知名度と利用者数を誇っていた。関係会社でゴルフ場経営のほか絵画販売や不動産業などを手がけ、同社が中核となって鹿沼グループを形成し、ピーク時の93年3月期には年収入高約37億4300万円を計上していた。
 96年頃から預託金の返還請求件数が増えていたうえ、関係会社に対する貸付金が膨らむなどグループ全体での金融債務が重荷となっていた。その後も近隣ゴルフ場との競合から来場者数が減少、2003年同期の年収入高は約19億円に落ち込んでいた。この間、主力行の足利銀行から出向者を受け入れ同行からの支援を得て経営改善に努めていたが、2003年11月に同行が破綻。預託金償還問題を抱え、借入負担が重荷となっていた。
 東北縦貫開発株式会社は、1971年(昭和46年)2月に設立されたゴルフ場経営業者。75年オープンの(鹿沼72カントリークラブ)の経営を行い、2002年9月期には年収入高約14億円を計上していたが、連続欠損を余儀なくされていた。
 株式会社栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部は、1972年(昭和47年)8月に設立されたゴルフ場経営業者。91年オープンの(栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部)の経営を行い、2000年12月期には年収入高約7億4800万円を計上していたが、連続赤字から累損を抱えていたうえ、多額の借入金が経営を圧迫していた。
 株式会社ケイ・ジー百八倶楽部は、1969年(昭和44年)8月創業、87年(昭和62年)1月に法人改組。グループ会社が手がけるゴルフ会員権販売のほか、グループゴルフ場のコンペ企画・運営を手がけ、2000年11月期には年収入高約1億1000万円を計上していたが、連続欠損を余儀なくされていた。
 負債は株式会社鹿沼カントリー倶楽部は約471億円、東北縦貫開発株式会社は約318億円、株式会社栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部は約272億円、株式会社ケイ・ジー百八倶楽部は約155億円で、4社合計の負債は約1216億円。

帝国データバンクより