ゴルフ場倒産情報

エスティティ開発グループゴルフ場

TOP>ゴルフ会員権情報>ゴルフ場倒産情報>エスティティ開発グループゴルフ場

2002年10月18日(金)

エスティティ開発株式会社が民事再生法の適用を申請

適用:民事再生法 負債:4922億円

関連するゴルフ場:千代田カントリークラブ ザ・ゴルフクラブ竜ヶ崎 ザ・インペリアルカントリークラブ グランドスラムカントリークラブ プレステージカントリークラブ ピートダイゴルフクラブ 千成ゴルフクラブ 富岡カントリークラブ パーシモンカントリークラブ


 ゴルフ場経営大手のエスティティ開発株式会社は、10月18日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。 
申請代理人は、奥田洋一弁護士。なお、監督委員には河野玄逸弁護士が選任されている。
同社は、1981年(昭和56年)2月に観光農場、牧場の経営を目的として中澤勤氏によって設立された。同氏はかつて政治家秘書を務めるなど政財界に広い人脈を持つ人物。その後休業状態を経て、82年12月、ゴルフ場の買収を機に営業を再開した。以降も「プレステージカントリークラブ」(栃木県栃木市、88年7月オープン)などゴルフ場を吸収合併し業容を拡大する一方、「ピートダイゴルフクラブ」(栃木県今市市、88年10月オープン)や「ザ・ゴルフクラブ竜ケ崎」(茨城県竜ケ崎市、90年9月オープン)など次々にゴルフ場をオープン、ピーク時の90年3月期には年収入高約265億9800万円を計上していた。
その後もゴルフ場を相次いでオープンし、関東地区を中心に11ヵ所のゴルフ場を運営、これらは高級ゴルフクラブとしてのステータスも高かったことから会員には財界の著名人が名を連ねるなど業界内でもトップクラスの地位を確立していた。
その一方でバブル時には、グループで東京都港区の新橋地区において1000億円近くにものぼる不動産開発投資を行うなど積極的に展開していたが、バブル崩壊後は不動産開発にともなう多額の借入金負担がグループ全体の経営を圧迫していた。また、本業の方も利用客の減少やプレー費の値下げから業績は低迷、2002年同期の年収入高は約121億800万円にとどまり、約1189億7900万円の最終赤字を余儀なくされていた。
こうしたなか、創業社長として社内外に強い影響力をもっていた中澤勤氏が2002年2月に死去。さらに、懸案となっていた新橋地区の不動産に対して東京地裁から仮差押命令(2002年6月)を受けるなど信用は大きく失墜していた。
負債は2002年9月末で保証債務約1733億円を含み約4922億円。
なお、佐藤工業株式会社(負債4499億円、東京都、3月会社更生法)を抜いて今年最大の倒産となった。

帝国データバンクより