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リンクスランドへ〜ゴルフの魂を探して マイケル・バンバーガー著 管 啓次郎訳 朝日出版社

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誰にでも勘違いってありますよね。

実は、私、恐ろしい勘違いをしていました。

先日の土曜日のことです。ここのところ、「ゴルフのすべて」(ボビー・ジョーンズ著、第17巻を参照ください)を読んだおかげで、ゴルフの調子も良く、快調なうちに本棚の第18巻も書いてしまおう。と思っていました。

リンクスランドへ〜ゴルフの魂を探して マイケル・バンバーガー著 管 啓次郎訳 朝日出版社

第18巻といえば、ゴルフでは18番ホールに通じる重要な巻ですから、何がいいだろう?そうだ、あの素晴らしい「リンクスランドへ」にしよう。フィラデルフィアインクアイラーの記者だった「ぼく」が、休職して新婚の妻とヨーロピアンツアーでピーター・テラベイネン(ちなみに1996年の日本オープンで優勝しています。その時の話が、「ゴルフを以って人を観ん」(夏坂健著日本経済新聞社刊)に出てきますが、それはまた今度)のツアーキャディを務めるOUT1〜9章と、自分が、ロイヤル・ドーノックやマクリハニッシュでゴルフをするIN10〜18章からなる、ゴルフをしながら、自分探しの旅をするノンフィクションです。1990年代にアメリカでベストセラーになった後、この本を読んだアメリカ人が、スコットランドのリンクスに大挙して押し掛け、スコットランド中のリンクスコースのビジタープレーフィーが何倍にも値上がりした。と言われる本です。日本では、そこまで売れなかったようでしたが、かく言う私も、この本を読んで、スコットランドへゴルフをしに行き、一緒にラウンドした現地のプレーヤーに、「おまえも、あの本を読んでスコットランドへゴルフをしに来たのか?なんと、日本語訳が出版されているだと!プレーの遅いアメリカ人がたくさん来て迷惑しているのに、これでまた、日本人が沢山来たら、大変だ。そのうち、中国人とか、いろんな奴で一杯になっちゃうな。なんとしても、中国語訳だけは止めさせなくては。」と言われました。あの本なら、第18巻にはふさわしい本です。

確か、家の本棚に読めもしない英文の原書と並べて置いておいたはず。この機会に、久しぶりに読み返してみようか。と探し始めました。その時です。ある筈のないものが、そこにあることを発見し、一瞬にして私の背筋は凍りつきました。

「王国のゴルフ」(マイケル・マーフィー著)と「普通のサラリーマンが2年でシングルになるための18の練習法」(山口信吾著)の間にそれはありました。

「ゴルフのすべて」(ボビー・ジョーンズ著 ゴルフダイジェスト社)

前回、取り上げたのは、文庫本サイズになって、「ダウン・ザ・フェアウェイ」とセットになった赤い表紙のものですが、これは、緑の表紙のハードカバー。

手に取ってみると、まさにそれは「ゴルフのすべて」(当たり前)。ページをぱらぱらとめくれば、この2カ月で3度読み返したあの「ゴルフのすべて」です。(だから、当たり前だってば)しかも、最終ページに栞が挟まれており、最後まで読んだ形跡がありました。

ということは、私は、以前にも「ゴルフのすべて」を読んでいたのです!

本の裏付けを見ると、2002年4月の出版になっています。2002年は、長男が生まれ、6月には日韓ワールドカップがあり、その直後の7月にミュアフィールドで行われた全英オープンに行った大忙しの年でありました。たぶん、ミュアフィールドから帰ってきた頃に、買って読んだのだろうと推測しますが、全く覚えていません。

ということは、私は以前に「ゴルフのすべて」を読んでいた。

しかし、その時に、私のゴルフは何の変化も起こしていなかった。

ということは、今回、私のゴルフの調子がいいのは、「ゴルフのすべて」を読んだからではなく、単なる「タマタマ」なのか?「ゴルフのすべて」さえ読み返していれば、どんどんゴルフが上手くなって、明日の月例もアンダーで優勝できると思っていたのに、「ゴルフのすべて」を読んでも上手くなれない?!

魔法が解けた瞬間でした。凍りついた背筋が粉々に砕け散って、へなへなと椅子に座り込んでしまいました。

翌日の日曜日、Nカントリークラブの月例では、49-46=95、ネット81。馬群に沈むどころか、馬の後ろを歩いていた牛の群れに沈むプレーぶりです。「おいおい、これが理事長杯メダリストのプレーかい?うちのクラブも落ちたもんだねぇ。」と同伴競技者にも呆れられました。

帰りの車の中で「どうして、駄目なんだろう」「なんで、あそこでOB打っちゃったんだろう」「あのパットは、どうして押し出しちゃったんだろう」と悩みながら、ふと我に返ると、車は、できたばかりの東京ゲートブリッジに差し掛かります。東京ゲートブリッジを越えるとごみ・廃棄物の処理埋め立て場所が広がっています。草や低木に覆われたそこはまるで荒涼たるリンクスランドのようです。「ここに新しくゴルフ場作ってくれないかなぁ」「それにしても、どうして俺はだめなのかなぁ」などと思っていると、突然、閃きました。

「そうだ!スコットランドに行って、リンクスでゴルフをしよう。」

これぞ、まさしく天からの啓示。この瞬間、私は、スコットランドのリンクスに旅立つことを決意しました。以前も「リンクスランドへ」を読んでスコットランドへ一人旅をしたことがあります。ちょうど、出向先から本社へ戻る合間で、自分を見つめ直す旅でした。

日本から来た怪しい中年に、スコットランドの人たちは優しく、ひざ丈の深いラフでのボールの探し方を教えてくれたり、借りたレンタカーのスペアタイヤが、緩んでぐらぐらしているのを気づかずに走っていたら、後ろを走っていた親子連れが、教えて直してくれたり、たまたま一緒にラウンドすると、「次の水曜日、空いてる?8:00から隣のコースでラウンドするから来ない?」「明日、カーヌスティでラウンドするから、一緒に行こうよ。」「私は、このゴルフクラブの元キャプテンなんだよ。クラブハウスでビールご馳走するから、ついておいで。」などと、とても親切にしてくれました。

もう一度、自分のゴルフの原点とも言えるリンクスへ行き、自分のゴルフと自分を見つめ直す良い機会です。さっそくM社長に書置きメールを残して行くことにしました。

「しばらく、旅に出ます。ライターカップまでには帰ってきます。探さないでください。」