ゴルフ会員権 ゴルフライフ

2017年10月18日

 2017年10月11日(水)墨田区は八広の中村病院に入院している。痔瘻の手術を受ける為である。尚、私の入院は2017年6月から7月に続いて以来である。
 皆さんは痔瘻(じろう)という言葉を聞いて、ご理解できるでしょうか?痔なんだろうな。。。とは分かるでしょうが、、、。私もついこの間まで痔瘻というのはどのようなものなのか?は知りませんでした。
 痔を大きく分けると3種類に分けられます。
 痔核(いぼ痔)と裂肛(きれ痔)と痔瘻(あな痔)の3種類です。いぼ痔やきれ痔はなんとなく分かりますが、あな痔は分かりませんね。私がかかったのは、この痔瘻(あな痔)です。
 痔瘻(あな痔)とは、歯状線にあるくぼ地に大腸菌などが付着して炎症が起こり、膿が溜まります。この状態は肛門周囲膿瘍と言われている病名です。この肛門周囲膿瘍が繰り返されると、1本のトンネルのようなものが出来、穴が出来上がるのです。これが痔瘻(あな痔)です。
 今年5月倶楽部対抗の練習の最中の大型連休中、私はこの肛門周囲膿瘍になりました。症状はというと、皆さんが次に書く遊びをしたかは分かりませんが、私たちの小中学生時に、金沢では七年殺しといって、友人のオケツの穴めがけて両人差し指をオケツの穴に突っ込むという品のない遊びが流行っていました。その攻撃を受けた痛み(つまり、穴に凄い衝撃を受けて思わずつま先立ちで歩いてしまう)がずっと続くのです。とにかく、お尻の穴に蓋をされてしまう痛みが続くのです。また、肛門周囲膿瘍になると発熱をも引き起こします。
 今回、中村病院をご紹介いただいたのは、現在、北海道で肛門科を含むクリニックを開業されておられるS.T先生だったのですが、5月7日の茨城ゴルフでのプレー時、あまりに痛みがひどかった私は、藁にもすがる思いで、プレー後運転していた車からS.T先生に連絡を入れました。この時、同伴して下さった方は御記憶にあられるでしょうが、とにかくパターのマーク時、普通に出来ないので全部膝をついてマークしていたのです。
 そんなこんな折、私がS.T先生に連絡を入れました。
「社長、今どの辺を走ってんの?」「今、足立区に入りました」「じゃ、たぶん社長が今いるきっとその付近で開業しているであろう、私の先輩に連絡を入れるから、ちょっと待ってて!」
 で、5分後。
「今、きっと、向島あたりの出口が近いだろうけど、そこの中村病院の院長先生に連絡したからすぐに行って。間違いなく肛門周囲膿瘍だから、膿を出してもらえば楽になるから」「ありがとうございます!では、すぐに向かいます!」
 ということで、中村病院へ行き、切開し膿を出してもらいました。この時は、あまりの痛さでこの世のものとは思えない大声を私は出しましたが、その後は、その前までの痛さがウソのようになりました。ホント、助かった瞬間でした。
 私は今回の肛門周囲膿瘍が初めてだったと思っていたのですが、どうやら、それは違うようです。10月14日(土)にBUNちゃんがお見舞いに来てくれた時、「前田さん、だいぶ前だったと思うけど、一緒に中山に行った時、中山の風呂場で、前田さんが俺の顔の前にケツを近づけて来て、「BUNちゃん、俺のケツの穴、なんかなってない?」と尋ねたそうなんです。私はこのような失礼をしたことなどすっかり忘れていて「そんなことした?」と尋ねましたが、BUNちゃんは「された方は絶対忘れないよ!、だれがオッサンのケツの穴なんか見たいもんか!」。仰る通りです。横にいたワイフが「この人、ホント、失礼な人なんだから!」。申し訳ない限りです。前田信吾、昔からどうしようもない奴です。
 この時、ゴルフ日記を見返しますとこの日は2009年5月6日のことのようでした。遠い昔、このような痛みがあった記憶がありましたが、、、。8年後の同日に起こったようです。今思えば、2009年の時はその後何もしてませんから、膿が出て痛みがなくなったのかもしれません。
 今回、手術を終えた時、中村院長から「これだよ~」と見せて頂いたのですが、私にはその切開したものが貝ヒモのように見せましたが「これに膿が溜まるんですよ!」と教えてくださいました。
 痔瘻の手術の場合、最も痛いのが脊柱麻酔をする時だと聞いていましたが、私の時は麻酔医の先生がお上手だったからか、痛みはあまり感じませんでした。麻酔をした後、実際の手術までに20分強時間があり、その間に実際麻酔が効いているかを観察し、その後、手術が行われたのですが、私には25分くらいと感じていましたが、実際は10分ほどだった模様です。
 術後はと申しますと、腰から下の下半身が全くいうことを聞かないので、よっこいショットと手術チームの皆さまにストレッチャーに乗せられ、ワイフが待つ家族待合室に寄り、その後、病室に戻ります。13時50分に病室を出て、再び病室に戻ったのは14時50分でした。まさしく1時間でございます。ここでもよっこいショット数名の方々でストレッチャーから病室のベッドに移し替えられました。
 さて、モモは少し動きますが、それ以外は全然動きません。ふと、このまま下半身は動かなくなっちゃうんじゃないの?と思ってしまいました。結局、21時過ぎまでは動くのが困難でした。そして、術後初めて小用に行ったのが23時過ぎでした。ナースコールをして看護師さんに来てもらい、一緒にベッドから3歩先のトイレに行きました。また、その後すぐ、痛み止めの座薬も入れてもらいました。ということで、この日は15時からずっと23時過ぎまでベッドから動かずじまいでした。
 恥ずかしい話、小用をする時、一緒に肛門から血なのかそれとも別のものなのかが伝ってくるので、それ以降はすべての用は座って致すようにしました。痔瘻の手術をすると術後が最も大変だ!と言われていますが、全くその通りです。痛み止めの座薬が効いている時間帯はそうでもないのですが、それが切れてくるとかなりの痛みが伴います。私は、なんとか痛み止めがなくとも大丈夫だ!と我慢してちょっとの時間を過ごしますが、結局、痛みが激しく痛み止めを入れてもらっていました。それをしてても術後の24時間は結構大変でした。術後30時間経過したところで悪寒がし出し、体温が7度9分にまで上がりました。平熱が5度8分から9分の低めの体温の私は寒さから毛布(布団)を2枚追加し、術後2日目の夜は毛布(布団)3枚を掛けて寝たのが良かったのと痛み止めの座薬が熱を下げてくれたことの相乗効果で熱が5度8分に下がりました。また、このおかげでじっくり睡眠も取ることが出来ました。
 そうそう、術後翌日の朝の院長先生の回診で「シャワーは全然かまいませんよ」とのお言葉をもらっていたので、シャワータイムは何度となく行ったが、最高のひと時だった。
 14日の土曜日には、手術をしていただいたもうお一人の先生のO先生の診察を受けたが、とても順調ですね。とにかく、お尻を清潔に保ってくださいね。とのお言葉を頂いた。また、退院は何時と聞いてます?と尋ねられたので、19日予定と伺ってますと答えますと、早くに退院できますよ!とお言葉を頂戴した。
 このように大変良くなってはいるのであろうけれども、やはり、お尻は痛いので座薬の痛み止めは続けてもらっていた。巷では、痔瘻の手術を日帰りで行う、とも伺うが、それらの方々は大層立派な方であろうと思います。私では耐えられないだろうな。もしかしたら、術式が違うのかもしれませんが。。。それでも凄い方々だと思います。術後、60時間程度が経ちますと、ついに点滴も終了します。小をする度に、同じように肛門からチロチロ出て、これがずっと続くとなるとえらいこっちゃ!と思っていましたが、これもその頃合いになると普通の状態に戻って来ました。まさに、ホッでございました。
 大便の方も84時間経過すると、ほぼ正常な大が出来るようになりました。とは申せ、出した後の痛みはこれは結構なものでございます。チクチクヒリヒリジンジン的な痛みで、私は思わずそこに下げ掛けているタオルをいつも引っ張って堪えていました。ここにウオッシュレットを掛けるのですが、一番弱くしてもこれがかなりしんどいのであります。で、このような状態がしばらく続きます。
 そういうプロセスを経て、術後、4日目の午前中の院長先生回診で、16日(水)の退院となりました。
 
 此度の入院においては、私は現在高血圧状態であることが分かりました。前回の5年前の突発性難聴の入院では、自分は無呼吸症候群であることが判明し、現在も尚、この病で毎月病院へ通っている次第です。此度の高血圧症に関しては、少し前にサウナ時にちょいと変な兆候があったので、?なにこれ?と思っていたので高血圧症と言われればそれも十分頷ける次第です。
 このコツコツ日誌を書きだして、これまでこのように入院が2度。また、骨折での長期会社欠席が2度ありました。コツコツ日誌(以前は骨骨日誌)は2006年8月10日の骨折時から書きだしたものです。そうそう、入院時、目土盛造さんから「信吾、今度からコツコツ日誌はケツケツ日誌にしなよ」とのお言葉をもらいましたが、止めました(笑)。コツコツは努力している様が感じられますが、ケツケツだとどうも。。。というのが理由です。
 
 10月9日(祝)にゴルフをして以来、今日まで10日間ゴルフをしていません。今、まさに、前田信吾(マエシン)はゴルフがしたくてウズウズ状態です。病室にいる最中も、シャドースイングだけはずっと続けていました。丁度9日前、東京プリンの伊藤さんと雑誌取材で対談した時、伊藤さんから「私は自分のことをゴルフ好きと思っていましたが、前田さんを見ていると、ホントは自分はそんなにゴルフ好きなんじゃないんじゃないかな?」って思えて来ました、との言葉を貰いましたが、今回の入院でやはり前田信吾(マエシン)はゴルフが大好きでゴルフが出来なくなったら廃人になるんじゃないの!?と思ったのでした。
 
 以上、タイトル痔瘻の独りごとでした。