独りごと

各倶楽部クラチャンまっ盛りの中、嵐山の狙いは一体?

2010年09月03日

 いよいよ9月に入りましたね。首班指名もいよいよですが、9月といえば、各倶楽部のクラチャン競技もまっ盛りの時期でもあります。
 ちなみに、9月5日などは、私が入っているところだけでも中山(36ホール)・総武(27ホール)・鶴舞(36ホール)・江戸崎(36ホール)・河口湖(27ホール)など、更に12日には京カン(36ホール)など、目白押しなのであります。
 私を含め、皆さん、当日はマッチプレー進出(ベスト16)を目指して頑張りましょう!

 さて、日本で最も歴史のあるゴルフ場は、明治36年開場の神戸ゴルフ倶楽部(18ホールだがパー61)であります。そして、日本で2番目に歴史あるコースは、大正2年開場の長崎県は雲仙ゴルフ場(9ホールのゴルフ場)であり、3番目に歴史のあるコースが大正3年開場の東京ゴルフ倶楽部であります。
 ちなみに、昭和の御世以前から日本に存在していたゴルフ場は、大正6年開場の富士屋ホテル仙石ゴルフ場、8年開場の旧軽井沢ゴルフ倶楽部、9年開場の鳴尾、垂水の兵庫県の両ゴルフ場、11年開場の程ヶ谷、14年開場の茨木、15年開場の宝塚の10コースしかありません。
 この10コースのうち4コースが兵庫県ですから、兵庫県は日本のゴルフ場の原点と言えるでしょう。

 そして、昭和一桁の御世になると、ナショナルオープン開催等の実績豊富な名門コースの8コースが誕生します。
 昭和3年に小樽と川奈が誕生し、翌年の4年には霞ヶ関と名古屋(和合)、5年には我孫子、6年には軽井沢GCと相模が、そして遂に昭和7年には現在の日本のゴルフ場で最もプレーする事が困難と言われている廣野が誕生します。
 昭和一桁のこの時代、ゴルフ場の数はまだまだ少なく、日本では上記の18コースしかありません。実は、来月、18コースしかない希少なゴルフ場のうちの3コース(鳴尾・廣野・神戸倶楽部)を私は弊社顧客の数名の方々と廻ることになっており、今からとっても楽しみにしているのであります。ゴメンなさい、話がそれてしまいましたね。

 更に、昭和10年代に入っても、その数は大きく増えず、生誕したのは富士GC、仙塩GC、那須GC、大阪GC、唐津GC、そして日本一会員権価格が高い小金井GCの6コースのみで、未だこの頃の日本でのゴルフ場総数は24コースのみです。
 更に更に昭和20年代に入っても、10年代同様その数は大きく増えず、大洗、鷹之台、千葉カン、箱根、愛知GC、広島GC、古賀など全国でも16コースのみであり、未だ日本のゴルフ場総数は40コースのみという現状でした。

 この頃のゴルフはとても高貴なスポーツと云われており、ゴルフをしている人は勿論のことながら、会員権を持っている人というのは、ほんの一握りの方でありました。
 そして、昭和30年代に入るや否や、ゴルフ場建設ラッシュが始まり、会員権の販売も多くなされるようになりましたが、過去の歴史を振り返ると、会員権売買業が誕生したのは昭和33年のようです。私の生誕前であり、今から50年以上も前のことになります。

 会員権業がこの世に生まれたきっかけは、千葉市の某所の土地にゴルフ場を造ろうとしたことが始まりでした。最初はこの土地に練習場を造ろうとしたそうですが、どうせ造るならゴルフ場の方が良いのではないか?となり、ある方がゴルフ場を造る中心人物となり、また別のある方がその会員権を販売する中心人物となったそうです。
 その当時、この千葉のゴルフ場の会員権を買おうとした方の中には、当時あまり使用していない別のゴルフ場の会員権もお持ちだった方が多くおられたそうです。そこで、販売人はその方々がお持ちの別のゴルフ会員権を引き取る代わりに、その造成中の当該ゴルフ会員権を販売して回ったのでした。やがて、引き取った会員権の在庫が多くなった販売人は、当該会員権の販売でけではなく、この引き取って在庫になった会員権を別の違う人に売って稼ぐという商売を考え出したのです。
 こうして、この千葉のゴルフ場建設を機に、会員権売買業なる商売が生まれました。ちなみに、この時のゴルフ場とは瀧波氏が昭和34年開場させた京葉国際カントリー(現在の京葉カントリー)であり、販売をした所は竹花氏の日本ゴルフ会でありました。そうそう、この事は以前、この独りごとのコーナーでも触れましたね。
 このように会員権業が生まれ、やがて昭和46年7月には組合が誕生し、以前株式市況でも行われていた”場立ち”制度でもありますゴルフ会員権交換会(協会会員による在庫物件の立会い売買)が開始されます。
 そのような歴史を経て、我々の組合(関東ゴルフ会員権協同組合)は現在では、組合加盟総数195社の組織となり、誕生40周年を迎える来年には都内某ホテルで記念式典も催される予定となっています。

 我々会員権業、並びに我々の組合もそこそこ歴史はあるでしょう!。そして今日では、経済産業省を始め、国税庁や各税務署からも問い合わせなどが毎日のように組合事務局に入るのであります。更に、毎週発行されている相場表は、各企業の総務担当者の方々にも重宝されております。
 また組合には、ゴルフ場からも、入退会に関して変更等があれば連絡が入ります。特にゴルフ場からの連絡は、我々組合員のみならず、ゴルファーにもとても貴重な情報です。
 そういう中、10月からの嵐山の年会費の倍増(年間15万円)変更通知には正直ビックリ致しました。メンバー以外からは予約を受け付けない頑なな姿勢と、日曜日はメンバーオンリーを貫く姿勢は十分評価できますし、きっとこの決定に際しましては、理事会において度重なる慎重審議が行われた事とも思います。現メンバーのヘビーユーザーの方々は、今回の措置止む無し!というお気持ちになられる方も多いのかもしれませんが、これから倶楽部に入ろうかな?というゴルファーからはどう思われるでしょうか。
 おそらくこの通知により、売買はかなり減少する事が予想されます。名変料収入が少なくなるどころか、購入者減少により市場で売買が難しくなれば、仕方なく退会希望メンバーは、自身が持つ額面償還(20万円から30万円が多い)と名変預託金(200万円もしくは150万円もしくは100万円)の返還請求をコースへ申し入れるでしょう。そうなれば、必然的にメンバー数も減少しますので、年会費収入も当初思い描いていた通りには入らない気がします。それより出金が増えて、経営を圧迫する可能性も出てきます。
 
 ですが、財政は磐石と言われていた嵐山、そのくらいの資金の出金くらいではびくともしないとも私は思っています。であるなら、本当の意味での更なる本物の倶楽部を目指すにあたり、万一、この政策を理解してくれない方は倶楽部を去っても仕方がない、それらの方々には出資金は返そう、そして、残ってくれた本当に嵐山を愛するメンバーだけで更なる真の倶楽部を築いて参ろうぞ!そして、その真の倶楽部運営を世に示し、こういう倶楽部に入りたい!と将来のメンバー候補からも思われようぞ!という理事会の強い意思決定表示なのかもしれません。

 各倶楽部が特徴ある運営をされる事は大いに結構な事と思いますが、現メンバーに愛される倶楽部であるだけではなく、将来のメンバー候補からもぜひ入会したいと思われる倶楽部でないと発展は有り得ない事だけは確かです。

 以上、今週の独りごとでした。