2007年7月27日
ジャン・バンデベルデの記憶が甦った
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 今年の全英オープンは、アイルランド人パトレイグ・ハリントン選手の優勝で幕を閉じた。観戦していた皆さんは、きっと手に汗握る試合で大興奮したことでしょうね。

 まだ最終組がスタートする前、私は2位のスティーブ・ストリッカーとは3打差あるし、3位の選手たちとは6打差もある訳だから今年はこのまま神の子セルヒオ・ガルシアが優勝するだろうとワイフに話をしていた。
 するとワイフは予言するように「それはない!」と言い放った。更に続けてワイフは「今年の開催コースは、あまりの大興奮であなたと一緒にずっと朝(たしか4時半過ぎ)まで眠れずに見ていたあのコースでしょう!」とピシャリと私に言い放った。

 今年の全英オープン開催は、1999年以来のカーヌスティ。
 そう、今回の映像でも何度も出てきたフランス人ジャン・バンデベルデのあの悲劇的全英オープンの開催会場なのである。
 今年初日、タイガーは、その昔、全英時アマチュア出場で名前を轟かせたジャスティン・ローズ、そしてその1999年のカーヌスティ時のチャンピオン、ポール・ローリーとの3サムで廻っていた。
 私はその時ようやく、あっそうだ、あの時のチャンピオンはポール・ローリーだったんだと思い出した。
 そう、誰の目にもあの時の主役は、明らかにチャンピオンポール・ローリーではなく、あの時だけ彗星の如く出てきたフランス人、ジャン・バンデベルデであったからである。

 8年経った今でも、あの時の映像(18番ホール)は私の記憶の中に鮮明に残っている。
 この時の最終日、前半の何番ホールだったか忘れたが、南アフリカのデビッド・フロストが左のラフに打ち込み、左打ちで打つ場合スタンスがカートパスにかかるのでドロップ出来ると主張し競技委員と出来る出来ないで揉めていたが、このR&Aの協議委員は頑としてデビッド・フロストにドロップさせなかった事もあり、この事でも私の記憶にはっきり残った全英オープン最終日だったのである。

 1999年の全英オープンでジャン・バンデベルデの何が他の選手と比べ突出していたかと言うと、パッティング力だった。特にショートパットを入れる確率は頭抜けていた。他の選手が2mくらいのパットに大変苦労する中、バンデベルデだけはことごとくこの距離を沈めてきた。17番ホールまでは、パット・イズ・マネー、まさにこれだなと私は感じ取っていた。
 そして、全世界中のゴルファーに戦慄を与えたあのドラマはその数時間後に起こった。

 1999年の全英オープンが始める前に、フランス人ジャン・バンデベルデなる人物の名前を知っていた日本人はおそらくいないのではあるまいか。
 そして、その4日後、そのジャン・バンデベルデという名はゴルフファンには絶対忘れることの出来ないフランス人名になったであろう。

 毎年全英オープンを見ていると、必ずカップに優勝者名を彫る場面が映し出される。普通の場合は当然の如く、優勝者が決まるまでこの名前を彫り始めない。
 が、私の記憶が正しければ、1999年の全英時は17番終了時に、これを彫る人の指先が確か動いて実際彫リ始めたはずである。つまりは、誰の目にも勝利はもう確定的と映っていたのだった。
 17番終了時には、トップのジャン・バンデベルデは2位のジャスティン・ローズとポール・ローリーに3打差をつけていた。18番ホールは皆さんもご覧になったとおり、左右とグリーン手前にバリーバーンと呼ばれる川が流れている。だから、普通であれば、1打目は距離が出なくても良いからフェアウェイに軽く刻んで、セカンドは川の手前にレイアップし、3オンさせて簡単にボギーでホールアウトが安全であろう。なぜなら、このボギー作戦でもまだ2打の余裕があるからである。

 この時の私は、この数年前にスペインのオラサバルが太平洋マスターズ時優勝した時、18番ホールをアイアン3発で手堅く3オンし、ロングをパーで突破した作戦で優勝したのを思い出し、きっとジャン・バンデベルデも同様の攻め方で行くものと当然思っていた。
 が、ジャン・バンデベルデはドライバーを手にし、私が時々打つような見事なドライバーでの右45度のシャンクを打ったのである。確かに、ジャン・バンデベルデはこの時の全英時、いかなる時でもドライバー(今年の全英時もそうだが、ロングアイアンをティーショットに使用する選手が多い中)を手にして攻めていた。
 だから、この最終ホールだけ攻め方を変える事(ツキをなくしそうで怖かった?)が出来なかったのかもしれない。
 この時はまだ何が起こっているのか回りも事情が判らず、この時の解説者戸張翔氏や青木功プロも右に意識的に飛ばしたのかもしれないとのコメントもあったくらいである、が、ラウンドレポートをしていた羽川豊プロだけは「明らかにプレッシャーから来るミスショット」と話していた記憶がある。
 しかし、まだこの時はラフといってもまだ切羽詰った場面ではなく、上手にセカンドを川の手前に運んで3オンさせることがそう難しくはなかったので、大変だなー位であった筈である。
 が、彼はこの2打目でグリーンへ届かせようと無理をし、またまたシャンクさせてしまい、今度はとんでもない深いラフに入れたのである。こうなってしまうと、もう、安閑としてはいられない状態になってきた。
 ここからは今年の全英時にも何度か映像が流れたので、皆さんもよくご存知であろう。
 深いラフからのショットが川を越えさせすれば良かったのだが、おそらく頭の中が真っ白になりながらの3打目のショットもミスし、ボールは無情にもバリーバーンに落ちてしまう。そして、その数分後、なんとジャン・バンデベルデはシューズを脱ぎ、ソックスも脱いで冷たいバリーバーンに降り立ったのである。
 観客はヤイノヤイノと騒いで拍手をしている。
 確かにボールの少しは水面から出ていた。この4打目のウオーターショットを成功させ、4オンし2パットで行けば優勝である。が、相当確率は低いはずである。
 結局、バンデベルデが川に入ったことによる波紋で、ボールは沈み、到底打つことは出来ない状態となり、バンデベルデは結局ボールを拾った。ルールを良く理解していなかった私は、ボールがバンデベルデの行った行為(入水)によりボールが沈んで行ってライが変わったのだからペナルティーが取られるのではないかと心配していたのを覚えている。
 そしてその後、ジャン・バンデベルデは、ドロップする良い位置がない為、仕方なく深いラフにドロップして打った5打目をバンカーに入れる。
 結局、6オンしたジャン・バンデベルデは1.5mほどのトリパットを沈め、派手なガッツポーズを見せ、雄たけびを上げた。
 バンデベルデのドライバーでの右へのすっぽ抜けショット以来、いったいどれくらいの時間だったのだろう。最終組のもう一人は確か豪州のクレイグ・パリーだったと記憶しているが、パリーとバンデベルデが握手したのは、18番が始まって1時間近く経った後の感じだった。 
 とにかくこの時の18番は、永遠に語り継がれる物凄いドラマだった。

 結局、ジャスティン・レナードとポール・ローリーとの3人のプレーオフにもつれ込んだのだが、この時、ジャン・バンデベルデが勝てばいつまでも語り継がれる悲劇の主人公にはならなかっただろう。が、観衆の多くがジャン・バンデベルデを応援したと思うが、あの場面でバンデベルデがプレーオフに勝つと予想した人は少なかったろう。
 私たち夫婦も心底から応援しているけれども、残念ではあるが、結局ジャン・バンデベルデは負けるだろうねと話し合っていた。

 15番から18番までの4ホールの合計ストロークプレーによるプレーオフは、ついさっき繰り広げられた目の前での信じがたい光景にプレーヤーも正気を失ったのか、最初の15番ホールからなにやら泥試合のような様相にて始まった。
 そしてその4ホールのストローク合計でポール・ローリーが初優勝を遂げたのである。しかし、この名誉ある第128回全英オープン優勝者であるポール・ローリーより、この時の悲劇の主人公ジャン・バンデベルデのほうが数万倍も私たちの記憶の中に焼き付いた事だけは確かだった。

 パット・イズ・マネーならぬ、ハート・イズ・マネー。
 これはこの試合の後、私がゴルフで最も重要なことだと感じた瞬間でもあった。

 レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンもフランス人であり、悲劇主人公としてとみに有名であるが、単純なオツムの私はジャンと言う名前には悲劇的な要素があるのかと当時思ったものだった。

 さて、話を今年の第136回全英オープンに戻そう。
 インコースを16番ホールまで超人的パターでバーディオンリー(1ホールのみダボあり)で9アンダーまで駆け上った26歳アルゼンチンのアンドレス・ロメロは、17番ホールのセカンドOBによるダボと最後の18番ホールの絶対に入ったと私の目には映ったパーパットが(神様のいたずらとしか思えない)カップから飛び出して脱落した後、優勝はアイルランドのパトレイグ・ハリントンとスペインのセルヒオ・ガルシアに絞られた。
 この時点でハリントンは9アンダー、ガルシアは8アンダーである。

 17番まで堅実なプレーをしてきたハリントンだったが、あのジャン・バンデベルデの悲劇18番ホールでティーショットを右にプッシュしなんとバリーバーンに落としてしまう。映像をご覧になっていた方ならご存知だろうが、ボールは橋を半分渡って越えようとしていたのだが、結局力尽きて川へ落ちた。
 ドロップして3打目を打とうとしているハリントンの顔を見て、ワイフが「あっ、この人の顔、おかしい、多分次のショットも失敗するんじゃ、、、」と言った。私は「ハリントンはこんな顔なんだよ!」と云ったのだが、なんとハリントンは3打目をこのホール2度目の川へ打ち込んでしまう。
 なんということであろう、このコース(特に18番ホール)には絶対に魔物がいるんだとしか私には思えなかった。
 ハリントンはドロップした5打目をきっちり寄せダボの7アンダーでフィニッシュした。この時のハリントンはきっと「俺はなにをやってしまったんだ、もうダメだ」という心境だったのではあるまいか。
 
 ところが、この時点で8アンダーでトップに立ったセルヒオ・ガルシアだったが、この日のガルシアはとにかくパターが入らなかった。まるで昨日、今日の私のパットを見ているくらい悲惨なものであった。
 18番のティーショットはずっと冴え続けていた2アイアンでフェアウェイをきっちり捉えた。が、まだピンまで250ヤード強のセカンドを残す。3アイアンでのセカンドショットはわずかに左に飛び、ガードバンカーに捕まる。上手くバンカーショットしたものの、今日全然入っていない距離が残り、結局ガルシアはこれを外して両雄が7アンダーで並んだ。

 4ホールの合計ストロークプレーによるプレーオフは、8年前とは違い、1番と16番、17番、18番での4ホールが使用された。
 結局、パープレーで廻ったパトレイグ・ハリントンが1オーバーのセルヒオ・ガルシアを下し初優勝して第136回全英オープンは幕を閉じた。

 勝負事は下駄を履くまでわからない。そして、ゴルフは怖い。だから、ゴルフは面白いのである。
 今年のセッティングは8年前に比べて随分と易しく感じた。実際そうなのでしょう、だから優勝スコアも6オーバーから7アンダーになっている。
 もし、1999年の18番ホールが今年のセッティングだったら、、、、、とテレビの画面を見ていて、私はこの時つくづく感じた次第である。

 ジャン・バンデベルデ、私はこの名前を一生忘れはしないだろう。
 
 先日の日本アマの試合もゴルフ業界発展に繋がった試合だったと思っている。で、その試合そのものが地上波で流れたのは石川遼選手の優勝に起因する。最近、巷でのゴルフに関する話題が多くなり、ゴルフそのものがこれから益々波及していくように感じ取れるようになってきた。
 我々会員権業界に身を置くものとしては、今年はこれまで会員権に大きな動きは見られなかったものの、これから徐々に動き始めると期待しております。

P.S が、私は今回の全英オープンのプレーオフをよく覚えていないのである。それは何故か?
 そう、プレーオフになり、そのインターバルの間で気が抜けたのか、私はソファーで寝てしまっていたのである。
 8年前の時はワイフと二人、大興奮で、睡魔などはどっかへ行ってしまっていたのだが、今回はウトウトしてしまっていて、ワイフからは「あんた、また目つぶっているよ、寝るんならさっさとベッドのお部屋に行きなさい」と言われてしまっていた模様である。

 寝不足が原因なのかはよくわからないが、体調不良に悩む今週だった。
 
 以上、今週の独りごとでした。