2006年1月13日
会員権及び業者の歴史
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 今週から本年の会員権市況も本格的に動き出しました。
 買い気配は、気配表更新の度に買いの本数が増えてきまして、そして買いの値段が上がってきております。売り気配本数は逆に減ってきまして、売り気配値段も更新の度に上がってきております。
 まさに驚くべき現象であります。今後、しばらくはこの状態は続くものと予想されます。

 今日は全日空ホテルでゴルフ16団体による新年会に出席してきました。11時30分から1時間、先日日本人としては3人目のゴルフ殿堂入りをされた岡本綾子プロのトークショーがありました。
 去年は、青木功プロのトークショーでした。
 岡本プロは今の道具で始めからゴルフを行っていたら、全盛期にはもっともっと飛んでいたでしょうと仰っていましたが、私も全盛期の綾子さんがもし宮里藍プロと競っても、きっと勝つのではないかと思います。

 さて、今週は会員権の歴史を調べてみたいと思います。

 この世に会員権業が誕生したのは昭和33年のようです。私が生まれる3年も前であります。
 どうして会員権業がこの世に生まれたかと申しますと、さる方々がここ千葉県に土地がある。この土地に最初は練習場を造ろうとしましたが、どうせ造るならゴルフ場の方が良いのではないか?となり、ある方がゴルフ場を造り、また別のある方がその会員権を販売しようとしました。
 その当時、この千葉のゴルフ場の会員権を買おうとした方々は、当時使っていない別の会員権もお持ちだったそうです。販売人は、その会員権を引き取り、その造成した会員権を販売しました。やがて、引き取った会員権の在庫が多くなり、これをどうしようかと販売人は考えました。そうだ、この会員権を別の人に売ろう!と考えたようです。
 そして、この時から会員権売買業なる商売が生まれました。当時は会員権を譲渡するという習慣はまだなかったもようです。この時のゴルフ場とは瀧波氏の京葉国際カントリー(現在の京葉カントリー)であります。そしてその販売をした所は竹花氏の日本ゴルフ会でありました。
 
 その後10年程はいろいろな方々がこの道に参入してきたそうで、この時、東京には50社ほどの商人がいたようです。しかしながら、その方々の中には、アウトロー的な方もおられたそうで、良心的な営業をしておられた方々は区別してもらう為に、昭和46年7月24日に関東ゴルフ会員権取引業協会を設立致しました。初代会長には竹花福太郎氏が就任されました。加盟31社。
 そしてこの年の9月にゴルフ会員権交換会が開始されました。(協会会員による在庫物件の立会い売買)以前株式市況でも行われていた”場立ち”制度であります。
 昭和47年には立会交換会は最盛期を迎えたようです。会員権は上昇に次ぐ上昇を見せました。
 昭和48年2月8日に関東ゴルフ会員権取引業協会は発展的解散を致し、中小企業等協同組合法による事業協同組合『関東ゴルフ会員権取引業協同組合』を発足。こうして現在の組合が発足したわけです。初代理事長には竹花福太郎氏が就任。組合員数31社。

 このように会員権業が生まれ、組合が誕生し34年余が経った訳です。
 
 来週は、それから(昭和48年以降)会員権がどのように推移していったかをご紹介致しましょう。

 以上、今週の独りごとでした。