ゴルフ会員権 ゴルフライフ

ゴルフとの出会い あれよあれよとチャンピオン

まだまだ寒い日が続いていますが、皆さん元気にメンバーライフをエンジョイしてますでしょうか。私はやっと初ラウンドに行ってきました。
まっちゃんのゴルフの内容については「花屋のオッチャン奮闘記」を参照してください。
今年はゴルフライフ寄稿連載を狙っていますと番外編で書いた直後に、前田社長から「面白そうだから書いてみなよー♪」と前田節の電話が入る。
先輩ライターの花屋のオッチャンと相談した結果、月一回の連載を開始することを決断しました。
記念すべき新連載のテーマは自己紹介を兼ねて「ゴルフとの出会い」についてです。一人前のゴルファーになる為には当然誰でも「ゴルフ初体験」があったはずです。また、それにまつわる色々な人との関わりやエピソードがあるはずです。初めて行ったゴルフ場を覚えていない方はいないですよねー。



第一部 ゴルフとの出会い

私が始めてゴルフをしたのは慶応義塾高校を卒業したあとの春休みに、同級生の親友F君(高校ゴルフ部)に無理やり連れて行かれた練習場です。
このF君は人懐っこい性格で好奇心旺盛だが、強引で飽きっぽいのがたまに傷の悪友。
練習場で適当なご指導?!を頂き、「ゴルフは馴れだから」とすぐにショートコースに連れて行かれる。
多摩川沿いのショートコースでいきなりのデビュー戦。
当然上手くいく訳もなく、ゴルフの難しさだけは理解して帰る結果であった。
しかしチョット安心したのは、F君は3年間体育会ゴルフ部にいたのに、全然上手くない。
というか下手で一安心?

その後慶応義塾大学に入学するとF君が「自分の家のすぐ近くの高級練習場、成城グリーンプラザを拠点に活動しているダッファーズゴルフクラブに一緒に入ろうよ」と自己中な提案。
しかし他にやりたいこともなかったのでゴルフの師匠?の入りたいサークルにお付き合いで入部。

しかしこの師匠は困った人で一ヶ月程活動した後に、「公認会計士を目指すからゴルフ休止する」と言って私の前から姿を消す。

師匠亡き後まっちゃんのゴルフは方向を失うが、とりあえず人一倍練習にだけは参加してみた。

しかしゴルフはいくらボールを打っても上手くならない。
「ラウンド中に先輩達からはヘナチョコ」と馬鹿にされる。

しかし2年生になると、練習熱心なのが買われて副代表に抜擢される。
しかしゴルフの腕前はフロントで100をやっと切る程度。
後輩に指導できる訳でもなく、悩める幹部であった。



第二部 岩瀬プロとの出会い

副代表の重大な仕事としてコンペの商品買いがあったが、なぜか先輩からは「市ヶ谷にあるサロンドゴルフの岩瀬店長に頼むように」と指示がでる。

ボロビルの2階にはジャンボ尾崎の身長を160cm以下に縮めたような店長がタバコをふかしながら修理やレッスンをしていた。

過去の経緯を聞くと、ダッファーズゴルフクラブが設立された当時はお遊びサークルだったが、真剣にゴルフに取り組みたいと思った初期部員の方が日大出身の岩瀬プロに顧問を頼んだのがお付き合いの始まりであった。

初めて見る狭い鳥かごでのゴルフレッスンに私は目を奪われる。
私と同じようなレベルのお客さんたちが、レッスンを受けるとどんどん上達していくのだ。
レッスン料金は1時間5000円と設定されていたが、当然学生の身分では無理な金額である。

岩瀬プロの面倒見の良い性格も手伝い、私はだんだん店に入り浸るようになり、ある時アルバイトとしての採用を直訴して見事OKを頂く。

こうして店員として、仕事をしながらゴルフ技術を盗む日々が始まり、卒業時にはフロントで80台のゴルフができるようになる。
馬鹿にされた先輩達からも一目置かれ、同学年でもトップ3に入る腕前になる。
この店では技術だけでなく、ゴルフを通じての人との付き合い方やゴルフの楽しさや男の生き様まで本当に勉強になった。

余談ですがその後見事公認会計士になったF君からゴルフに誘われ、その時にたまたま同組でゴルフをしたのがまっちゃんの嫁さんとの出会いでした。

今の私があるのは岩瀬プロやF君のお陰であるといえる。



第三部 花屋のオッチャンとの出会い

卒業して数年サラリーマンを経験し、その後親が経営する花市場に入社すると、忙しいのでだんだんゴルフと遠ざかっていく。

師匠である岩瀬プロも不況の為ゴルフ業界から退いてしまい、またしても進む方向を失う。

ゴルフの情熱が冷めていた時に、花市場組合のコンペに始めて参加した。
そこで同い年位の市場の社長が、私に気さくに話しかけてくる。
これが花屋のオッチャンとの出会いです。

すぐに親しくなり、ゴルフに一緒に行くようになる。
花屋のオッチャンは今でこそ優良ゴルファーを気取っているが、その当時はブンブンクラブを振り回し、ミスするとクラブを放り投げ、同伴競技者を萎縮させる自己中なゴルファーでした。
いつもスコアでは私の方が良いが、オッチャンは負けず嫌いでどんどん挑戦してくる。

ゴルフのマナーや多少の技術を伝授するとそのうちオッチャンに負けるようになり、これじゃいかんと練習を再開する。
二人で張り合うようにゴルフをし、いつのまにか二人のゴルフの技術や情熱が上がってきた。

この頃母親が持っていた総武カントリーの会員権を腰が痛いので譲渡すると言われる。
これから行くかどうかわからない総武の会員になれば、年会費もばかにならないので乗り気ではなかった。
書き換え料の80万円も、ローンがあるのでとても払えない。
しかし80万円肩代わりしてくれるとの事で、とにかく譲渡される。
今思えば、大変贅沢な話でした。
メンバーになり花屋のオッチャンに「総武行こう」と誘うと、「そんな高いコース行けるか」と冷たい態度。
昔のオッチャンはとにかく安いコースが好きな方でした。

初めて競技ゴルフに挑戦したのはGDOのダブルス選手権で、花屋のオッチャンに口説かれニューセントアンドリュースの予選にエントリーした。
当然初参加では悔しい思いをしたが、競技ゴルフの素晴らしさを味わうことが出来た。

その後二人で何度もチャレンジしたが、あるとき花屋のオッチャンの「浮気?!」が発覚。
なんと相棒に黙って他の人間と組んで内緒でエントリーしていた。

さすがにやる気を失い、しばらくダブルスには参加しなくなった。
昨年冷却期間が終わり久しぶりにダブルス選手権の東筑波の予選に参加すると、大変かみ合わせが良く、予選通過にカウントバックでギリギリ敗れるまでに成長。

しかし敗戦の責任はまっちゃんの17番ホールのショートパットにあると花屋のオッチャンに追及され、再び解散の危機ではあったが、その後事務局から予選繰上げ通過の一報を頂き、なんとか危機を脱したようだ。

私は花屋のオッチャンの紹介で加賀屋の前田社長とお付き合いが始まり、たくさんのゴルフ仲間が出来たので、彼はゴルフ人生の「恩人?!」。



第四部 車崎プロとの出会い

岩瀬プロの指導が無くなって10年ほど経過して、再びゴルフが上達しない焦燥感が沸いてくる。
ライバル花屋のオッチャンはパブ選の予選を通過する、大金星を上げた。
そんな時に出入りしていた足立区のゴルフショップで、車崎プロのレッスンに遭遇する。
プロの教え方はドリル中心で、江連軍団の指導に良く似ていた。
車崎プロの指導方法はオーストラリアの有名ティーチングプロ、ゲーリー・エドウィンがルーツだそうです。

そこで入門を決意して、指導をして頂くことに。
初めて行う、バランスディスクやバランスボールを使ったドリルに戸惑いもあったが、色々な練習方法があることを知り、スイングの作り方がわかってきた。

これらの練習方法がその後の理事長杯のあれよあれよと快進撃に繋がっていく。
今もまっちゃんは将来のクラチャン制覇?にむけて特訓中です。



第五部 結び

自分がゴルフを19年続けているのは、初めてクラブを手にするきっかけを作った人がいて、一緒に楽しくプレーしてくれる人がいて、マナーや技術を伝授してくれる人がいたからです。

私も「まっちゃんがいたからゴルフを始めたんだ」と言ってくれる人を、ゴルフ人生の中でどんどん増やせれば幸せです。

皆さんもゴルフを通じてどんな出会いがあったか思い出してみて下さい。
初心に返りますよ。