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高松には、1980年から1984年までの4年間在住していた。
第一回目の紀行文に紹介したが、1981年2月にゴルフデビューを果たし、
それから、ゴルフに魅了される日々が始まる。
 
当時、香川県でプライベートクラブの代表といえば、高松カントリー倶楽部(城山コース)と志度カントリークラブだ。
 
高松カントリー倶楽部は、1954年(昭和29年9月)に開場した四国最古のコース。瀬戸中央自動車道・坂出ICから約6km、JR予讃線・坂出駅から約20分(高松市の西20km、車で約40分)に位置し、瀬戸内海国立公園地域内ある山岳コースで、ブルドーザーなどの重機を使わず、手作りで作られた。
 
当時はコーライのワングリーンで、戦略的なコースだったと記憶している。

(昭和29年9月に、丸毛信勝博士の設計、完成した四国で最初のゴルフ場)

(コースは瀬戸内海国立公園内にあり、昭和63年4月に完成した瀬戸大橋を展望できる風景はまさに日本一)

(2番グリーンから讃岐富士(飯野山)を望む)

地元の地銀の百十四銀行が中心となって、社団法人として設立されたが、2014年にリソルグループに売却され、社団法人(当時一般社団法人)は解散した。
 
地元有力地銀もバブル崩壊後、この歴史あるゴルフ場を支えきれなかったのは、残念だ。
 
手作りで造成されたゴルフ場のためなのか、記憶に残るホールが多い。
特に、1番がショートホールから始まるが、その奥には瀬戸内海が一望でき、スタートホールに迎えられている気分になる。
スタートホール(1番や10番)にショートホールを持ってくるのは、珍しい。
小生の経験では、鳴沢GCや富士ゴルフコース(山中湖)があるが、その中でも城山コースのスタートホールは、記憶に残るホールである。

(1番ホール PAR3)

そして、夫々のホールに、愛称がついている。1番は、富士見台だ。

(4番 PAR4 千早城)

4番ホールは、270Yの短いミドルホールだが、壁みたいなのり面に打っていく。
ナイスショットしないと、壁に跳ね返され、ボールはどんどん手前に戻ってくる。
当時このホールの右側には、動く歩道が設置されていて、初めての経験に驚いたものだ。
 
こののり面は、斜度がきつく、ミスショットした時の疲労感は半端でなかったのを思い出す。

(10番 PAR4 車道)

10番ホールは、距離があり、しかもグリーンに近づくに従って、コースが絞られていくホール。フェアウエイも起伏があり、ティショットおよびセカンドショットも難易度が高いホール。距離もレギュラーで410Y(バックだと465U)ある。
本当にショットメーカーでないと、大たたきするホールだと思う。

(15番 PAR4 城門)

15番ホールは、距離のない打ち下ろしのミドルホール。HDCP18なのだが、フェアウエイが馬の背になっていて、少しでも曲がると、両サイドのバンカーに入ってしまい、途端に厳しいホールになる。風の強い日もしかり。
眺めが最高なので、それに惑わされずに、フェアウエイセンターに集中したいホールだった。
 
40年近く経っているのに、ここまで良く覚えていられるのは、自然を残した手作りコースで、ゴルフを始めたばかりの小生にも、このゴルフ場の Thrill of Nature を感じていたからだと思う。
 
一方で、四国の川奈と称されていた、志度カントリークラブは、週末には、メンバー同伴でないとラウンド出来なかったと記憶している。
 
高松カントリー倶楽部のように、ホール毎の詳細は覚えていないが、白い灯台に打ち下ろしていくホールとその灯台から打ち上げていくホールは、よく記憶している。
 
志度カントリークラブのHPにYou Tubeのプロモーションビデオがあり、ここにリンクを張るので、是非ご覧いただきたい。
 
志度カントリークラブは、いわゆるシーサイドコースなのだが、瀬戸内海に突き出た半島に造成されたコース。コース自体は、結構起伏に富んでいて、秋田カントリー倶楽部に少し似ているかなと思う。
ただ、コースからの白い灯台や断崖絶壁の絶景は、確かに川奈にも似ていると思う。
 
このコースで思い出深いのが、男子プロのトーナメントをここで初めて観戦したことだった。
1983年3月26日-27日の二日間のトーナメントが志度で開催された。
KSB瀬戸内海オープンとして。
 
倉本昌弘、中島常幸、杉本英世、藤木三郎、安田春雄や西川哲など、当時有名な選手も出場していたので、心躍らせて観戦に行ったのを鮮明に覚えている。
 
当時は、まだパーシモンでバラタカバーのレクスターADやMaxfliなどのボールだったので
藤木三郎は、OBゾーンから大きくフックして、フェアウエイに戻ってくるようなショットを打っていた。
 
この志度カントリーのホール構成は、半島にレイアウトされているせいか、16番ショート、17番ロング、18番ロングと変則的なものだった。
 
最終日、志度の所属プロの十亀賢二が首位をキープしていたが、17番をダボ、18番をボギーとして、2位の安田春雄と4アンダーで並びプレイオフとなった。
 
場内のアナウンスで、プレイオフは、16番→17番→18番の順で行うとのことで、観戦にいっていた仲間と、18番のグリーン脇から脱兎のごとく、16番のショートホールに移動した。
 
先ほど紹介した通り、18番と17番は、ロングホールのため、1キロ以上を走って戻って16番に辿り着き、さあ、選手が来るのかなと思いきや、いくら待っても、何も起こりそうな気配がない。
 
暫くすると、アナウンスがあって、安田春雄(十亀賢二の7組前をラウンド)が、もう飛行機に乗って帰京してしまったとのことで、プレイオフは中止、十亀賢二が優勝したのである。
 
初めてのプロの試合の観戦で、幻のプレイオフは、一生忘れられない思い出となった。

 

掲載日:2019年5月10日